一條宣好さま
2024年2月6日(火)雪の日の次の日
東京に雪が降りました。
はじめはみぞれかな? と思ったのですが、だんだんと「雪」になり、あれよあれよという間に東京の町が真っ白に。雪化粧。
雪国出身のわたしは、雪の大変さも知りつつも、故郷を離れ、長い月日が経つと、雪が恋しくなるようです。久しぶりの雪の冷たさ、美しさに郷愁の念を抱きました。
毎朝、一條さんの配達ポストを拝見しているからでしょうか、すっかりわたしの返事が遅くなっていることはわかっていながらも、まさか最後にいただいたお手紙から1年半以上経ってしまっていたことに驚くとともに、自分の遅筆を恨んでおります。
変わらずお元気でいらっしゃいますか。
ここでのお手紙を交わせていなかった間も、南方さんに関する情報を郵送いただきありがとうございました。
ポストをあけて、一條さんから南方さんに関するあれやらこれやらが届いているととても嬉しくて、いただいた資料やお手紙を何度も何度も読み返していました。先日は、一條さんが講師となり「博物学者・南方熊楠が読んだ山梨の本たち」を講演されたとのこと! 先約があり、伺うことができずに至極残念でした。しかし、南方さんが読んだ「山梨の本たち」とは、なんて一條さんならではの視点でしょうか。南方さんはまさに好奇心の塊で、南方さんを介すと博物にダイブすることができる。だからこそ、南方さんへの入り口もたくさんある。そんなたくさんの入り口を提示して、南方さんの魅力を多くの方に知っていただきたい、さまざまな好奇心と南方さんの好奇心をつなげたい、そんな想いからはじめたこの往復書簡。
一條さんならではの視点で南方さんを語られる機会は、まさに、南方さんへの入り口を新たに開かれたように思います。
今度こそ!
一條さんの講演に伺いたいです!!
一方、わたしはというと、ここ数年は「落語」が大きく自分の人生を導いてくれています。そして、これもまた、南方さんへとつながる入口のひとつでもあるから驚きです。わたしと落語の出会いは遡ると大学生の頃なのですが、話すと長~くなってしまうので割愛します。落語への興味が再燃し、ふと、「南方さんは落語が好きだったのではないかしら?」 なんていう、何の根拠もない直感がおりてきました。その直感は当たっていたようで、南方さんが、東京大学予備門に通っていた明治16年から18年頃に、寄席に通っていたことを知り嬉しくなりました。当時は、現在の東京都千代田区の辺りに寄席が固まっていたということもはじめて知り、須田町の「白梅亭」という寄席に、南方さんはじめ、夏目漱石や正岡子規、坪内逍遥なども通っていたとか。嗚呼、一体どんな寄席だったのでしょう…高座にあがっていた落語家さんも気になるけれど、こんなメンツが通っていたということに興味が向きますし、そこから当時の「落語」の立ち位置というか、効能というかが分かってきそうです。
もっと南方さんと落語の関係を紐解いていきたいという好奇心は掻き立てられ、資料になりそうな文献探しをする日々ですが、なかなか出会えず。わたしのリサーチ力の乏しさもあると思うのですが…。いや、きっとそのせいですよね、根気よくリサーチし続けないと。
リサーチが難航する中、一筋の光となったのが、『熊楠研究 第16号』に掲載されている「南方熊楠英文資料 アメリカ時代の『文明進化論』」(編:松居竜吾・志村真志・プラダン ゴウランガ チャラン)です。この号は一條さんが書かれた安藤礼二『熊楠ー生命と霊性』の書評が掲載されている号で、また奇遇さを感じざるを得ません。そうそう、安藤先生と言えば、先日の中尾拓哉・山内祥太「メディウムとディメンション:Apparition」の関連トークイベントでお目にかかり光栄でした…ってこちらに話を向けると戻ってこれなくなってしまう…。
話を戻すと、「アメリカ時代の『文明進化論』」は、南方熊楠館蔵の「アメリカ時代ノート」の4冊目に記されている小論の草稿で、編者たちにより「文明進化論」と題づけられました。22歳の時に書かれたようです。
文明は「進化」するという定説に対して、南方さんは「退化論」というべきものが古くからあるぞ、と論じていきます。本当に今の世の中は進化してると言えるのか?という問題提起でもありますね。その中で、儒学や博物学、数学、文学、さらに芸術として俳道、絵画など様々な分野の異人の名前を挙げて、江戸期の思想や文化のすばらしさを述べています。義太夫節や江戸節についての言及も。ここには、直接、落語についての言葉は出てこないのですが、南方さんの江戸の関心、いやそれを高く評価をしていたことが良くわかりました。
最後には「元禄・享保期と明治期の間の断絶がいかに大きいかわかるだろう。(中略)明治政府は数十万の資金をその[科学]の振興のために投じている。しかし、その効果はいかほどだろうか」(『熊楠研究 第16号』215頁)と綴り、江戸期に比べ明治期への懐疑的な姿勢が見て取れます。
この資料に出会ったことで、もっと掘っていくと、南方さんと落語についてもわかってくるはずだと、姿勢を新たに、次なる資料として『落語×文学ー作家寄席集めー』(著:恩田雅和、刊:彩流社)のページをめくりました。
芥川龍之介、江戸川乱歩、太宰治、手塚治虫…などとならび南方さんと落語についも書かれています。都都逸を好んでいたこと、さまざまな落語の源になったと考えられる古今東西の話のこと…。南方さんが寄席を、落語を楽しみにしながらも、やはり研究の材料としての興味関心ももちろんあったのですね。
そして何より、一條さんに教えていただいた本の一節、南方さんの娘である文枝さんの言葉がとてもみずみずしく、心に刺さりました。
『父 南方熊楠を語る』(日本エディタースクール出版部)67頁/文庫版 『素顔の南方熊楠』(朝日文庫)
「趣味といえば、御飯を食べながらよく落語の本を読みましてケラケラ笑っておりましたが、そんなものでしょうね。浄瑠璃なんかも好きでしたが(…)唄の文句など聞き覚えており、機嫌のいいときは小唄を唄っていました」(140頁)。
豪快に笑う南方さんの姿が目に浮かぶようで、ほっこりしてしまいます。
そして、すべてが研究対象! というイメージを南方さんに持っていたのですが、純粋に趣味としての「好き」という気持ち、しかもそれが落語に向けられていたことは、落語好きの一人としてとても嬉しいです。
と、まだまだ南方さんと落語についてのリサーチははじまったばかりで、断片的な資料集めにとどまっていますが、焦らずに、南方さんの江戸期への関心や、説話研究などなど、ダイレクトに落語というワードでいきなり接近するのではなく、その外堀からといいますか、もっと南方さんを俯瞰して、そこから得られるヒントを集めながら、自分が一番知りたい情報、側面に迫っていこうと思いました。
正直、普段、熱心に南方さんの本を読んでいなくても、ふとした時に急に降りてくる「南方さんが好きそう」「南方さんも興味ありそう」という想い。
その降りてきたものを、蔑ろにせずに掬い取ってみると、不思議と本当に南方さんと繋がっていくから不思議です。
この感覚、大切にしようと思います。
2023年はなんだか体調をよく崩してしまいました。
2024年は心も体も元気でいたいと思います。
今年も、毎朝の配達便りを楽しみにしています:-)
どうか素敵な日々をお過ごしください。
中村翔子
【追伸】
わたしが少しお手伝いさせていただいている「遅四グランプリ実行委員会」が「第27回岡本太郎現代芸術賞」に入選しました。2月17日から入選者展が開催されるのでお近くにいらっしゃる際はお立ち寄りいただけたら嬉しいです。そして、密かに、岡本太郎と南方熊楠もなんだか共通点を見出せそうだなと思ったりしています。
【往復書簡メンバープロフィール】
一條宣好(いちじょう・のぶよし)
敷島書房店主、郷土史研究家。
1972年山梨生まれ。小書店を営む両親のもとで手伝いをしながら成長。幼少時に体験した民話絵本の読み聞かせで昔話に興味を持ち、学生時代は民俗学を専攻。卒業後は都内での書店勤務を経て、2008年故郷へ戻り店を受け継ぐ。山梨郷土研究会、南方熊楠研究会などに所属。書店経営のかたわら郷土史や南方熊楠に関する研究、執筆を行っている。読んで書いて考えて、明日へ向かって生きていきたいと願う。ボブ・ディランを愛聴。https://twitter.com/jack1972frost
中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。「本好きとアート好きと落語好きって繋がれると思うの」。そんな思いを軸に、さまざまな文化や好きを「つなぐ」企画や選書をしかける。書店と図書館でイベント企画・アートコンシェルジュ・広報を経て2019年春に「本屋しゃん」宣言。千葉市美術館 ミュージアムショップ BATICAの本棚担当、季刊誌『tattva』トリメガ研究所連載担当、谷中の旅館 澤の屋でのアートプロジェクト企画、落語会の企画など、ジャンルを越えて奮闘中。下北沢のBOOKSHOP TRAVELLRとECで「本屋しゃんの本屋さん」運営中。新潟出身、落語好き、バナナが大好き。https://twitter.com/shokoootake
【2人をつないだ本】
『街灯りとしての本屋―11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』
著:田中佳祐
構成:竹田信哉
出版社:雷鳥社
http://www.raichosha.co.jp/bcitylight/index
※この往復書簡は2020年2月1日から「手紙18」までメディアプラットフォーム「note」で連載していましたが、2023年1月18日より本屋しゃんのほーむぺーじ「企画記事」に移転しました。よろしくお願い致します。