今、尾てい骨が折れている。
ちょっとした不注意から階段を踏み外し、転倒してしまったのだ。
その瞬間は意味が分からず、しばらく動けなかった。
重い腰を上げて病院に行き、レントゲンを撮ってもらうとばっちり骨折していた。
しばらく運動をしちゃだめ、安静にせよとのこと。まあ、そりゃそうだ。
歩いたり、走ったり、筋トレしたりが日課の私に、運動をするなというのは辛かったりするけれど、一日も早く運動できるようにおとなしくなくちゃな。
それにしても、自分の尾てい骨をはじめてみた。こんなことでもなければ、尾てい骨を意識することはなかったかもしれない。ああ、わたしにもしっぽがあったんだなと、ささやなに自分も生き物の進化の過程に身を置いていることを感じている。
と、言われつつ、思いつつ、早速「歩く」ことを決行するわたし。駒込のoshima fine artさんで開催中の春草絵未さんの個展へ千駄木から歩いて行った。本当はね、北千住から歩こうかしらと思ったけれど、それはさすがに体のことを思いとどまりました。
駒込を歩いたことはなかったから、道中も新鮮で楽しかったな。
ohshima fine artは住宅街にひっそりとたたずんでいました。
道では子どもたちが放課後を楽しむ様子がちらほら。いいですね、こんな風景の中、ギャラリーに入るとアートが生活と地続きいや、生活の一部、んー、なんというかあたりまえにそこにあるものに感じます。
「時は1秒も止まらず、景色も1秒として同じものはない。
ただ足を止めて自己を省みると浮かびあがる空白がある。
春草絵未 個展「彼方の風が頬を撫でる」ステイトメントより
今回の個展は、風景と空白と時間を行き来しながら、画面に向き合った結晶だ。」
春草さんはここ1年ほど毎朝のように河川敷沿いを走っている。 今回の個展で発表された作品は、春草さんが走っている道中の風景の「遠く」と「近く」が重なり合っている。
わたしが春草さんのことを知ったのは、実は作品が入口ではなく、走る人としてだった。たまたまわたしのジョギングコースとかぶるところがあり、勝手に親近感を覚えていたし、いつも走ったコースや距離、風景の写真をSNSにアップされているのを見て、やはり走るってきもちいいいよな、と再認し、改めてわたしも体を動かすことと向き合う毎日だった。そう、あらためて向き合うきっかけをくれたのが春草さんだった。
走っていると、遠くを見つめながら走るから地球を俯瞰できる。さらに、そこに咲く花や雑草、モゾモゾ動く虫たちとか細部も見えてくる。遠近が自分の体を包み込むんだよね。今回の春草さんの作品は、そんな自分の体験も相まって至極共感した。
春草さんの身体が感じ取った風景、切り取った景色は、とても生き生きしていたけど刻々と変わりゆくゆらゆらとした儚さがよく伝わってきて、ちょっと哀すら感じた。
色も、そんな気持ちを掻き立てたのかもしれない。グラデーションがかった繊細な線は脈打ってるようにも見えてきて、風景と同じように色も揺れ動いているんだなって。背景の淡く透き通った色は、朝なのか、昼なのか、晩なのか、そんな境界線を溶け合わせていた。何時でもない、ただ流れてる時間。
走っているから風を感じるのか。頬を撫でるその風はわたしの身体を立体的に浮かび上がらせる。そして、「遠く」も「近く」も一緒に、わたしのもとに運んできてくれる。
春草さんの作品を見た後は、なんだかまっすぐ帰りたくなかったし、サクッと電車を使いたくなかった。
やっぱり、歩こう。
谷中を通って日暮里まで歩いた。ふっと夜風があたり、骨が折れているところが冷んやりとした。安静とは。
移動時間は短縮されがちだけど、実はとても大切な時間と身体感覚がそこにあるんじゃないかと思う。
展覧会情報
春草絵未 個展
「彼方の風が頬を撫でるー風なびく奏でる時のひずみから宙のあいだに浮かぶ空白ー」
会期:2021年10月16日ー11月6日(土)
会場:ohshima fine art(〒113-0021 文京区本駒込4-33-10 1階)
※詳細はギャラリーのWEBサイトをご覧ください
http://www.ohshimafineart.com/exhibitions/