帰り道はいつでも早い。
来る時は知らない道で、先に何があるかわからない。
だけど、帰る時は、もう知っている道だ。
さっき日向ぼっこしていた猫はもういないけど、ばあちゃんは畑仕事を終えたみたいだけど、バス停に置き忘れられた眼鏡はまだそこにある。
来る時と全く同じ道でないけれど、知っている道は次に何がやってくるかわかるから、気持ちはちょっと先を歩いているのかもしれない。だから、帰り道は早い。
養老渓谷にやってきた。
養老川のほとりの宿に泊まり、翌日、歩いて粟又の滝を目指す。
経路検索でだいたい1時間程度と案内されたが、実際は坂道が多く、もう少しかかったように思う。
ふざけながら歩いたので、なんてことない。
オタマジャクシやテントウムシを久しぶりに見た。
四葉のクローバーがふと目に入った。
空は相変わらず曇天だった。
粟又の滝は荒々しいというより、岩肌を濡らしてしっとりと流れているようで色っぽかった。
そこから少し奥に進み、いくつか滝巡りをする。滝にも個性があって、実におもしろかった。
滝まで来るのに1時間以上、滝巡りに費やした時間も同じくらい。
帰りも歩くぞ、と来るときは意気込んでいたけれど、やはりしんどい。
大人しくバスに乗ることにした。
バスが来るまで、ジェラードを食べる。牛乳とバナナの二点盛り。冷たさとともに疲れが体から抜けていくようだった。
ほどなくしてバスに乗り込む。
回数券を受け取り、座席に沈む。
バスが通る道は、わたしが歩いてきた道と同じだ。
えっちらおっちらと歩いてきた道がびゅんびゅんと逆行する。
ずいぶんと山道を頑張って歩いたんだなと、ぼんやりと窓の外を眺めていると…
粟又の滝に向かって歩いているわたしの姿が見える。
「さっき」という時間がそこには確かに流れていた。
粟又の滝からバスで帰るわたしが、粟又の滝に歩いて向かうわたしを眺めている。
こんなことあるだろうか。何とも不思議だ。
すでに「さっき」が「思い出」になってノスタルジックな気持ちになっているだけなのだろうか。
君、インドに行った時も同じことを言っていたよ。
と指摘される。
すっかり、そのことは忘れていた。
忘れても同じことを繰り返しているということは、水面下に根を張る、わたしがずっと持ち続けている感覚なのだろう。それがたまに蓮の花のように顔を出すんだ。
どうやらわたしの時間はひとつじゃないらしい。
そういえば、昨日の夜、カジカの声をはじめて聴いた。
それはそれは、澄んだとてもきれいな声だった。
カジカが鳴いているのに、なんて静かな夜なんだろうと思った。
なんて深い暗闇なんだろうと思った。