季刊である『tattva』の最新号が届くと、常套句であるが、時が経つ早さを痛感する。あらあら、もうそんな季節なのね、夏か、と、封筒をハサミで切る。最新号はオレンジ色。封筒の暗がりから覗く好きな色に嬉しくなる。すっと、取り出してみると、時を刻みそうにない時計のイラストレーションが配されている。たった今、「時」に思いを巡らせていたから、おやおや、と思う。1~24の数字が雑多に漂う、盤面に、中心からほどけ落ちた、長針、短針、秒針も一緒にふわふわと浮かんでいる。わたしがインドを旅した時の感覚は、まさにこのイラストレーションの如く、であった。旅中、時計を見ず、宙に浮かぶ時と戯れて過ごしていた。
vol.06の特集テーマは「生れるうちあわせ。いい会議。」だ。今号も、連載「トリメガ研究所は語る」の構成を担当させていただきました。毎号のことですが光栄です。ありがとうございます。
今回の連載では、「小さな話し合い」についてトリメガ研究所の3人に語り合っていただきました。「話し合い」や「会議」というと、何月何日何時にどこそこで! とセッティングされる「大きな話し合い」がまず想起されると思いますが、日常的に勃発する「小さな話し合い」、立ち話、雑談のような関わり方も実は「生れるうちあわせ」かもしれません。しかし、コロナ禍において、打ち合わせやコミュニケーションの多くがオンライン化される今、本来ならば気軽にできるはずの立ち話や雑談をする機会も奪われていますよね(いや…待てよ…立ち話や雑談は気軽なのか?!)。 そもそも大きな話し合いと小さな話し合いの役割の違い、小さな話し合いから生まれた展覧会について、オンラインが主流になりつつある今の状況において小さな話をする方法などをお話しいただいています。 そして、話題は、トリメガ研究所企画の展覧会図録の必ず収録されている3人の「座談会」へ。展覧会図録に企画者の「座談会」が収録されていることはとても珍しいのですが、なぜ、トリメガ研究所は座談会を収録するのか、その意図と役割についてもお話しいただきました。ここにも「小さな話し合い」の効能を考えるヒントがありそうです。
わたしは、打ち合わせに臨む際、しっかり準備をしなくては! と緊張をし、いざ当日になると、準備通りに進めなくてはとガチガチになって、臨機応変に動けないということがしばしば…。しっかり準備することは土台だと思いますが、そこにしがみつきすぎると、決められた箱内でしかアイディアが生まれないな…と反省する日々です。もっと余白を作って、大きな話し合いの中にも、小さな話し合いのような柔軟な視点と、ゆるやかなコミュニケーションをとることができるようになりたいなと、思うわけです。今回の『tattva』には、そんなわたしの悩みを導いてくれる言葉にたくさん遭遇しました。
『tattva』を読んでいると、時が経つのを忘れる。きっと、それは、この本が答えを与えるのではなく、たくさん考えるきっかけを贈ってくれるから。自分との「話し合い」をしているうちに、いつしか、時計の長針も短針も秒針も外れ、自分の時に没頭しているのだと思う。