「秋雲…もう、秋酒の季節なのか」
最近、近所に日本酒専門店ができた。買うこともできるし、カウンターで飲むこともできる、洒落た作りのお店。その前を通るたびに最近の入荷情報をチェックするのが日課になっている。8月も下旬の今日、ラインナップにひやおろしや秋あがりなど、秋の日本酒がずらり。いつの間にか、出雲富士は「夏雲」から「秋雲」に変わっていた。もう、出雲を旅してから一か月が経とうとしているのか…と、秋酒を前に夏の雲と旅を思い起こす。
「この夏酒、最高」
その日は日曜日で、なかなか開いているお店がなかった。
出雲駅の周辺をぶらぶら散歩しながら、食処を探す。そんなにお腹が空いていたわけではなかったけれど、やはり旅先では、一口くらいは地のものを食べ、地酒を飲みたくなるものだ。
小路や横丁に入り込み、あえて迷子になってみる。迷子になることも旅の醍醐味だ。ガイドブックやレビューサイトに行く道を定められない楽しみ。すると、自然と自分の中の野生が目覚めるのでしょう、この世界を捉える嗅覚やセンスが研ぎ澄まされていくような気がする。
とある小路に入ると、小さなしめ縄と「出雲富士」と木の看板が掲げられている蔵があった。酒蔵かしら。シャッターが閉まっていたけれど、それ越しにも趣が漂っている。酒蔵だとしたら、どんなお酒なのかな、出雲富士。興味がわくばかりである。こんなひょんな出会いが、地図なしに歩くことに楽しさを感じる瞬間だ。
小路から小路へぐるぐると歩いていると、駅前に戻ってきた。出雲の地元の料理と地酒をうたった「食楽 山頭火」。俳人 山頭火が好きなこともあり、このお店に入ることにした。
カウンターと、座敷、2階もあるらしい。カウンターにはずらりと地元のお酒が並んでいた。さっきまで、あんまりお腹空いてないと思っていたのに、急に日本酒に合う料理はどれかしらと、頭と胃袋が動き出す。「宍道湖産しじみ」「出雲大根のサラダ」「炙り板わかめ」「舞茸の天ぷら」を選んだ。
一杯目はビールを。2杯目からは日本酒を探す。メニューを広げると超充実のラインナップに悩んでしまったが、「夏酒あります」の貼り紙を発見。せっかくなので夏酒を頼むことにする。
「地元の夏酒が飲みたいです」
そうリクエストすると、青地に真っ白な入道雲が描かれたラベルの日本酒を持ってきてくれた。とても爽やかで、夏休みを彷彿させる。入道雲の上に青い箔で「夏雲」という文字が輝いていた。その横に「出雲富士」。そう、さっき、小路で出会ったばかりではありませんか。いやはや、こんなにすぐに「ここのお酒、飲みたいなあ」の気持ちが叶うとは、驚き。これも旅の不思議であり、おもしろさですね。調べると、1939年に創業した富士酒造という酒蔵さんで、「出雲の地で富士山のように愛される日本一の酒が造りたい」という想いをこめて、醸造した日本酒を「出雲富士」と命名したそう。「出雲を醸し、富士を志す」という理念のもと、農家さんと一緒に、農薬や化学肥料を極力抑えたエコ農法で持続可能な酒米造りに取り組み、手作業である木槽搾りでお酒を搾り、人間の五感を駆使した酒造りをしていますと…。たまたま出会った酒蔵さんの哲学がバキバキにかっこよくて感動である。
もちろん味も最高で、出雲の食材、お料理によく合う。口に入れた瞬間、ほんのり甘くて、徐々に入道雲が黙々とたちこめるように旨味が広がって、最後にはキリっとしまる。夏をただ爽やかには終わらせないぞと、汗ばむ小麦色の肌、艶やかな緑、陽炎…夏のそんな情景が詰まっていた。
しじみをしゃぶり、わかめをポリポリ食べ、夏雲をごくり。
何て良いリズムだろう。
お酒と料理を堪能していると「どこから来たの?」と大将が声をかけてきた。低くて良い声だ。
出雲ははじめてか? 観光できたのか? はじめはそんな他愛もない会話だったのだが、次第に、出雲の歴史、大将の生い立ちとか、家族のこととか…どんどん話題は広がり深まっていく。途中で、もずくとらっきょうをご馳走してくれた(とてもおいしかった)。話は続きます。わたしが、アートが好きだという話をしたら、店主はいつか「龍」の絵が描きたいんだと夢を語りはじめた。いいですね、はじめて会ったにもかかわらず夢を語ってもらえるなんて、幸せ。
何時間経ったかしら…。店内にはもう他のお客さんはいない。軽く一杯のつもりが、結局閉店まで楽しんだ。
そういえば、翌日は夏休みで帰って来ているお孫さんたちと一緒に水族館に行くんだと、嬉しそうに話していたな。どうだったのかな、水族館、きっと楽しかったんだろうな。元気かな、大将。
一か月越しに、急に気になる、あの夜の翌日のこと。
わたしは翌日に、出雲大社を目指し、たくさん歩いた。
そして、一か月たっても、わたしは変わらず歩いている。
そう。
「どうしやうもないわたしが歩いてゐる」種田山頭火
旅の情報
食楽 山頭火
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