なんでーーー。
取っ手に手をかけて、右側をちょいと持ち上げると開く……んじゃなかったの。
なんで、そんなにズバッと、キレよく、勢いよく開くんだよ、引き戸よ。
あんなに開けることに苦戦していたのに。しかも力をかけすぎると壊れてしまいそうな怖さがあった。
なんでーーー。
そろりそろりと歩かないと、ズボッと床が抜けてしまいそうだったのに……。
なんで、そんなにトランポリンみたいに、はげしいジャンプを受け止めているのよ、畳よ。
さすが家主だ。
家を分かっている。
家の使い方を心得ている。
家との息がぴったりあっている。
今日は家劇場に「家と暮らせばー日めくりダンス公演〈最終回〉」を観にやってきた。
家劇場は緒方彩乃さんによるプロジェクトであり活動拠点。築90年の風呂なし平屋を「家として・劇場として」営むべく、住みながら、日々家事をするように、リノベーションやパフォーマンス公演、イベントを開催されている。そんな家劇場、老朽化などのもろもろの理由から2023年春に取り壊されることが決まった。
そんな中、「誰でもどこでも”家劇場”は創り出せるという考えのもと、家のように、あるいは劇場のように使いたい方達にお貸し出しをする」と緒方さん。最後、いろんな人に家劇場を使ってほしい、遊んでほしいという想いから2022年10月~2023年2月に「お貸出し祭り」を開催。日夜、会議、ハロウィンパーティ、飲み会、写真展、ダンス公演など、さまざまな人の、さまざまな「家劇場」が誕生していた。わたし、本屋しゃんもそんな祭りにのっからせていただき、モデル・MIOKOさんの個展 「たまにはヨソの布団の上」を家劇場で開催させていただいた。約1週間、MIOKOさんと一緒に家劇場に缶詰め状態。MIOKOさんが巨大漫画をライブドローイングをして、完成した作品をどんどん家劇場の中に貼っていく。日に日に家劇場の表情が変わっていくし、最終日まで完成しない展覧会だ。と、こんな風に、結構な時間、家劇場で過ごし、遊びまくらせていただいた。引き戸の開け方、締め方、電気のつけ方、隙間風のしのぎ方、暖を取るための器具たちの扱い方……90年の時が積もっている家劇場の扱い方は、そりゃあ、まあ、はじめは難しかった。何度か玄関の引き戸を外してしまう(告白)など……家のツボがよくわからなかった。だけど、毎日通っているとだんだんとツボが分かってくるわけで、だんだんと家に馴染んでくるわけで、MIOKOさんの展覧会が完成するころには、結構いい感じに家と呼吸を合わせられているように感じた。だから、展覧会が終わり、撤収して、現状復帰させて、家を後にするときはちょっぴり寂しかった。
そして、今、目の前で家主の緒方さんが、とても楽しそうに家とダンスしているではないか! いとも簡単に引き戸を開けて、これでもかと言わんばかりに畳の上で飛び跳ねている。あんなに苦労して開けた引き戸が、恐る恐る歩いた畳がイキイキとしている!
「家と暮らせばー日めくりダンス公演〈最終回〉」は、家劇場解体前の最後のイベント。
家の半分が客席、もう半分がステージ。緒方さんの日常が、生活が、さまざまな音楽とともにコロコロとダンスされる(ダンスされる?!)。公演がはじまる前は息をひそめたようにひっそりとしていた家。緒方さんが登場すると、そこは一気に劇場になった。あっちに駆け、こっちに駆け、飛び跳ねて、寝転がって呼吸をする。この家ってこんなに大きかったっけ? と錯覚するほど、緒方さんのダンスで家がのびのび、壁を押し広げていく。緒方さんも家もとっても楽しそうで嬉しかった。客席とステージと境界線がひかれていても、空気や気配は自由に行き来する。わたしもいつの間にか一緒に呼吸したり身体を動かしていた。鑑賞を越える体験。
家を愛した緒方さんの生活が目の前でダンスとして翻訳されて、ああ、家がなくなってしまう寂しさと、前向きに生活する緒方さんのかっこよさが呼応してちょっと泣きそうになったのはここだけの話。だけど、一番最後に残ったのはとても前向きな気持ちだった。形あるものはいずれ無くなってしまうことはこの世の常で、家劇場にもその時がやってきたのだ。物ではなくなっても、家劇場はずっと家劇場としてここに、そこにあるのだと思う。「誰でもどこでも”家劇場”は創り出せる」という緒方さんの言葉通り。
わたしは家にいることが苦手だ。家にいることが好きじゃなくて、すぐに外に出たくなってしまう。こういうのをなんていうんだろう。出不精の反対、出べそ? 出ずっぱり? だけど、今日、緒方さんのダンスを拝見して、嗚呼、家っておもしろいんだな、「家と暮らす」って感覚もいいなって感じることができた。
さあ、今日は家と暮らしてみようかな。