わたしたちの南方熊楠 企画記事

【企画記事】手紙14:中村翔子さま「戦争が奪うもの」 一條宣好より(2020年9月7日)

投稿日:

中村翔子さま

2020年9月7日(月)

大変・たいへん・taihenご無沙汰してしまいました。
中村さん、noteをご覧くださっているみなさまに心よりお詫び申し上げます。

 きょうは目まぐるしくお天気が変わる一日でした。強い雨もカッと照
りつける日差しもセットとなっていて。うちの本屋は道路に面してお
り、小中学生の通学路となっています。登校の際には傘を差していた生
徒たちも、下校時には傘なしで歩いていきました。

 中村さんは「雨」にちなんで思い出す本を、心の本棚に持っています
か?私は雨の日には久保田万太郎「雨が降る日は悪いお天気」を思い出
します。

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久保田万太郎の戯曲「雨の降る日は悪いお天気」は昭和6年に伝説の児童雑誌『赤い鳥』に連載された。『久保田万太郎全集 9』(中央公論社)などで読むことができる。関心のある方は図書館or古書店へ。

山梨県出身の宗教学者であり、中村さんも「ONLINEブッ
クフェア 映画「タゴール・ソングス」誕生記念―100年後に、この
本を心を込めて読む、あなたは誰ですか?
」で選書している『熊楠の星
の時間』
(講談社)など南方熊楠に関する著作も多く、南方熊楠賞受賞者
でもある中沢新一さんが以前、子供の頃に読んだ印象的な本の一例とし
て紹介されていました。

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中沢新一『熊楠の星の時間』(講談社)。中沢氏は『森のバロック』(講談社学術文庫)など熊楠に関する著作を多数刊行しているが、この本は講演会の内容をまとめたものなので読みやすく親しみやすい。

「良い」「悪い」といった価値観や感覚はそれ
ぞれによって全く異なるということを、とてもユニークなかたちで表現
した戯曲です。紹介文に導かれて読んだのは大学を卒業してからでした
が「中沢さんの学問の特色は、たましいが子供の頃から着実に形成され
ていった結果なんだなあ」としみじみ思いました。もし機会があったら
読んでみてくださいね。

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中沢氏の紹介文は、岩波少年文庫創刊45年記念の小冊子に掲載されていたと記憶。残念ながら現物を探せなかったので、代わりにパンフレットの選書3冊をご覧ください。


 さて、今年は日本の太平洋戦争敗戦から75年となるの節目の年。小
学生の頃を思い出すと、図書館には戦争の悲惨さを描いた物語作品がた
くさん並んでいました。大川悦生『おかあさんの木』、高木敏子『ガラ
スのうさぎ』、松谷みよ子『ふたりのイーダ』、椋鳩十『マヤの一生
』、渡辺清『戦艦武蔵のさいご』…子供心にも楽しくない(というかと
てもつらい)内容が予想され、積極的には読みたくないのだけれどなん
だか気にもなるしで、戦争が主題の本を毎夏それなりの冊数読んでい
ました。
 子供の頃には、当時の同世代の人たちが学童疎開などで過酷な体験を
したこと、動物が悲しい運命を辿ったことが戦争の相貌としてまず強く
認識されたのですが、成長するにつれて、戦争の悲惨や苛烈があらゆる
ところに及んでいることを知りました。私たちに身近である書くことや
読むこと、そして学術研究にまでも。


 先日、それを改めて強く噛み締めるシーンがあったのです。
 東京・池袋で月に一回開催されている「東京・南方熊楠翻字の会」。
熊楠の日記は中学生の頃から書き始められ、亡くなる間際まで書き継が
れました。彼の生涯などを知るためにこの上なく貴重な資料です。しか
し量が多く文字が難読であるなどの事情から、全ては翻刻されていませ
ん。略称「翻字の会」は、担当を決めて事前に作成した熊楠日記の翻刻
案を会合当日に出席者で検討、少しずつ読んでいく会です。私も数年前
から見学者として参加しています。新型コロナの感染拡大のために春か
ら休止となっていましたが、6月よりリモートで再開されました。
 現在読んでいるのは昭和15(1940)年の日記。長引く日中戦争な
どの影響で世の中はかなり暗くなっていた頃です。その8月のある日の
日記に「今日は灯火管制があったので、菌類図譜の作成を行わなかっ
た」という意味の言葉が書かれていたのです。灯火管制…!すぐに熊楠
の娘、文枝さんの回想が思い出されました。

もう戦争になりましたですね。そのころ灯火管制でしょ、だから暗く
しましてね。それでも(一條注・菌類図譜の作成などを)やってました。
電球に黒いカバーをかぶせまして、その下でやってました。なにか気の
毒な気がします。そんなこともちゃんと守りますから、言われたら反対
に明るくするということはなかったですね。
「南方文枝さんに聞く」(『熊楠研究 第3号』南方熊楠資料研究会編
に収録)より

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2001年発行の『熊楠研究 第3号』に掲載されている「南方文枝さんに聞く」。南方熊楠顕彰館のHPから購入できます。

 一般的な南方熊楠のイメージには「豪快」という項目が含まれるので
はないでしょうか。流通している生前の逸話にはそうした内容が多いと
思います。そのイメージからすれば熊楠はひとりでも戦争に反対し、命
令など無視して研究作業に邁進した…という姿が期待されることも自然
です。しかし実際の熊楠は、灯火管制の規則を守って、時には研究作業
をあきらめていたのでした。文枝さんの言うように「気の毒」な姿。
 しかも、熊楠の生涯は既に最終章でした。身体の不調も自覚していま
したし、残り時間が短いことは本人が一番よくわかっていたはずです。
研究の目標としていたことのひとつだった菌類図譜の作成と発表、それ
を何とか完成させたい…しかし、灯火管制に象徴される戦争は、熊楠最晩
年の命を懸けた研究作業を非情にもストップさせたのでした。


 戦争は人間の生命を奪う。いや、それだけではありません。世界的博
物学者の最晩年の研究活動までも「奪った」のです。


 私は不勉強でよく知りませんが、熊楠の自然科学研究だけでなく、他
の分野の様々な研究活動も戦争によって機会を奪われたと推測します。
読むことも書くことも研究することも自由にできない状況を、決して許
すわけにはいきません。これからも繰り返し熊楠の無念に想いを寄せ、
非戦・不戦の誓いを新たにしたいと考えています。


 残念ながら感染拡大が止まりませんね。もろもろ気をつけながら、こ
ころは縮こまらないように元気を出して行きたいものです。
 いつもお忙しい中村さん、お身体に気をつけてお過ごしください!


【往復書簡メンバープロフィール】

一條宣好(いちじょう・のぶよし)
敷島書房店主、郷土史研究家。
1972年山梨生まれ。小書店を営む両親のもとで手伝いをしながら成長。幼少時に体験した民話絵本の読み聞かせで昔話に興味を持ち、学生時代は民俗学を専攻。卒業後は都内での書店勤務を経て、2008年故郷へ戻り店を受け継ぐ。山梨郷土研究会、南方熊楠研究会などに所属。書店経営のかたわら郷土史や南方熊楠に関する研究、執筆を行っている。読んで書いて考えて、明日へ向かって生きていきたいと願う。ボブ・ディランを愛聴。https://twitter.com/jack1972frost

本屋しゃん似顔絵

中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家

1987年新潟生まれ。「本好きとアート好きと落語好きって繋がれると思うの」。そんな思いを軸に、さまざまな文化や好きを「つなぐ」企画や選書をしかける。書店と図書館でイベント企画・アートコンシェルジュ・広報を経て2019年春に「本屋しゃん」宣言。千葉市美術館 ミュージアムショップ BATICAの本棚担当、季刊誌『tattva』トリメガ研究所連載担当、谷中の旅館 澤の屋でのアートプロジェクト企画、落語会の企画など、ジャンルを越えて奮闘中。下北沢のBOOKSHOP TRAVELLRとECで「本屋しゃんの本屋さん」運営中。新潟出身、落語好き、バナナが大好き。https://twitter.com/shokoootake


【2人をつないだ本】

『街灯りとしての本屋―11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』
著:田中佳祐
構成:竹田信哉
出版社:雷鳥社
http://www.raichosha.co.jp/bcitylight/index

※この往復書簡は2020年2月1日からメディアプラットフォーム「note」で連載していましたが、2023年1月18日より本屋しゃんのほーむぺーじ「企画記事」に移転しました。よろしくお願い致します。

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