内幸町。わたしがかつて勤めていた書店や図書館からほど近く、この界隈は懐かしく愛おしい。
銀座から歩いていくことにした。
冬の銀座は夏よりなんだか瀟洒で、イルミネーションの煌びやかさと行きかう人々の華やかさに心躍る反面、なんだか寂しくなってしまうのが不思議。数年間、ここに通っていた。その頃に比べて駅は大分綺麗になって、勤め先だった書店の様子も変わっている。わたしの身体が、わたしの細胞が日々生まれ変わっていくように、街もまた昨日とは違うし、今日という姿は二度とこない。
開場時間少し前に到着したが、すでに入口前には老若男女の長蛇の列。すごい。大盛況だ。
今日は「三遊亭らっ好 独演会」@内幸町ホール にやってきた。
らっ好さんの落語をはじめて聴いたのは「池之端しのぶ亭」。
谷中の旅館・澤の屋さんで、本屋しゃんが企画したエリカ・ワード+境貴雄の二人展「ようこそ『えんぎやど』へ」を見に来てくださったのがきっかけで、らっ好さんが澤の屋さんからもほど近い「池之端しのぶ亭」で定期的に独演会をされていることを知った。以降、何度か会にお邪魔している(つまりハマっている)。
しのぶ亭は、三遊亭好楽師匠が自分を育ててくれた師匠や先輩への恩返しの想いもこめて、若手の育成、勉強の場としてご自宅の一階に作られた寄席だ。粋である。高座と客席の距離は近く、まさにアットホーム。そんな雰囲気も相まってか、落語をとても身近に感じながら聴くことができる場所。らっ好さんの落語は、威勢が良くてすがすがしいのだけど、それに加えてなんだか内側からほかほかしてくる。寒い日に、おでんの出汁を一口飲んで、すーっと喉を通り抜けていった後に、胃の中からじんわりと全身があたたまってほっとする、あの感じ。なぜだろう。
200名近くあるホールの席はほぼ満席に見える。しのぶ亭とは規模が違うのでドキドキしながら、場所を変えてらっ好さんの落語を聴けることがとても楽しみだった。ゲストは三遊亭兼太郎さんとやまけいじさん。やまけいじさんを通じてボートビルという芸術をはじめて知った。ボードビルとは、17世紀末にパリの大市に出現した演劇形式で軽喜劇のことだそうな。全身に取り付けられたリンがなり、お手製のシャベルのギターが響く。折尺のおさかなクイズはまんまとツボにはまり大いに笑わせていただきながらも、始終、哀愁が漂い、さまざなか感情を包括してしまう「笑い」の本性に触れることができた。
らっ好さんは、「しの字嫌い」「湯屋番」、そして最後に「文七元結」。
「しの字嫌い」。やわらかい黄色のお着物に淡い灰色の袴が爽やか。下男の定吉さんと主人それぞれのキャラクターがうまいこと描き分けられ、それぞれの滑稽さが愛おしくなった。さらに、とてもリズミカルにうまく2人の攻防に巻き込ませてくれた。下男に本気でぶつかる主人の人間らしい負けず嫌いなところ、ちっちゃいプライドがよく伝わってきた。主人も所詮、人間だもの。
「湯屋番」は真っ赤なお着物で。らっ好さんの演る若旦那の妄想っぷりはやれやれを通り越してもはや狂気的。デレデレのヒートアップにまさにこちらがのぼせてきちゃいます。そんな若旦那の妄想を、さらに妄想しながら聴くという二重の妄想構造になっておもしろい。
そして「文七元結」。これはとりわけ圧巻だった。
江戸っ子の気風の良さが気持ちいいほど入り込んできた。佐野槌の女将は最高にかっこよかった。長兵衛さんとのやりとりの場面では聴いているこちらも、女将の情け深さと強い眼差しが見えてくるようで背筋が伸びる。それだけではない。登場人物がそれぞれに持つ弱さがじんわり滲み出しているのだ。これにはまいった。表層に押し出されるわけではなくとも、それぞれのキャラクターの水面下にある人間らしい弱さが確かにそこに感じられるのだ。
ここで気づく。らっ好さんの落語がおでんの出汁みたいに体の内側から温めてくれるのは、すがすがしい噺っぷりの土台に、人間の弱さや繊細な部分が豊かに広がっているからだ。そしてそれを否定したり、無視したり、置いてけぼりにしたりしない。そう、人間らしさに触れられるから、圧倒的な噺力に感動するばかりでなく、あたたかい気持ちにさせてくれるのだと思う。完璧ではないからこそ人間って魅力的で美しいんだなと気づかせてもらった。
会が終わってホールを後にする。
すっかり夜が深まっていて、まんまるのお月様がぽつんと夜空に浮かんでいた。
しばらく歩くと、いい具合にお酒がまわっていると思われる新成人たちがあっちにもこっちにも賑やかにたむろしている。普段なら怪訝な顔をしてしまいそうなところ、落語会の帰り道、おやまあおやまあ、初々しいなあと、いつもより優しい眼差しでそんな彼らを、この世界を見つめている自分がいた。
次回もたのしみ。
三遊亭らっ好さんの情報は公式サイトをどうぞ~。
追伸:らっ好さんのグッズ、かわいすぎです。