さすが、海の街。
ばかさぁめ。
あ、「とても寒い」という意味。地元・新潟の方言。
日本大通り駅を出るとすでにあたりはすでに暗くなり、冬らしい夕刻の空が広がっていました。昼から夜へ変わる、中間の時。あたたかい色から、クールな色へと街が表情を変えるグラデーションの時間帯。
2回目の緊急事態宣言が発出される前日だった。
そう、とても寒い日だったの。
東京ではあまり出番がないなと感じていたロングのダウンコートを羽織り、ジッパーも上までぴしゃりと閉めた。そこに刺さるような海風が吹いてきて、どこか地元の冬を想起させた。昼がいなくなりそう、暗い、寒い、ひとり‥‥‥今の私はきっと、哀愁に満ちている、そんな気分に浸りながら歩みを進めた。
大山エンリコイサム展
夜光雲
暗がりの中で、看板が、展覧会のタイトルが如く、そう「夜光雲」のように光を放っている。そこに浮かびあがるクイックターン・ストラクチャー=QTS。
2021年1月23日まで、神奈川県民ホールギャラリーで、大山エンリコイサムさんの展覧会「夜光雲」が開催中。
着いた。
コートのジッパーを開ける。
すっと冷たい空気が身体の中に入り込む。
随分とコートの中で体が縮こまっていたみたい。よろしくないなあ、と肩甲骨をぐっと後ろに引き寄せてから肩をぐるりと一度まわした。
展示は地下からはじまり、1階へ続く。
大きく5つの部屋で構成されている展示を閉館ギリギリまで堪能。
見終わった時には、驚くほどにちぢこまった体が解放され、とてものびのびしていることに気づく。
大山さんの作品制作の土台が力強く伝わってきた。
だけど、新しい大山さんの表情、新しい物語に出会えたように感じた。
そして、とても気持ちよく、瞑想をした後のようなすっきりした気持ちと肌感に包まれた。
はじまりの部屋。「レタースケープ」は、和紙に墨と筆で江戸時代の出納帳と、19世紀末〜20世紀末に書かれた世界中からNYに送られた匿名の手紙がコラージュされていて、そこに迷い込んだかのようにQTSが描かれている。QTSが、異国の地を旅する自分自身のようだったし、はじめて上京して自分以外の大勢の人たちが背景のように過ぎ去っていく感覚、NYのハーレムで挙式をした時に、あらゆる人種、様々な言葉、宗教に囲まれる中で、自分の国や言葉が溶けていきそうな感覚すら思い出したな。
立体作品。「Cross Section」。大山さんの立体を見るのははじめてだったの。建築資材のスタイロフォームを約200枚重ねて、熱線カッターで切り落とす!!そして墨とエアロゾル塗料で黒く塗る。遠くからみると、鬱蒼とした森に迷う混んだかのような、はたまた島を散歩していたら突然目の前に、磐座が出現したかのような、重厚な空気を感じた。しかし、近寄ってみると、塗りの痕跡や資材の元の姿がほんのり浮かびあがっているの。遠近で、宇宙を俯瞰したり、一つ一つの星と出会ったりすることができた。そして、ペインティング同様、筆致という軌跡と同じく、大山さんの身体性が漂う。
この次の部屋はとてもとても広く、照明はほとんど落とされていた。
まず目に入るのは、仮設壁に描かれた「円」。
そして、広く仄暗い空間に浮かびあがる力強い5点の絵画作品。
そう、読んで字のごとく、本当に浮かびあがっていた。
第5展示室。
「FFIGURATI(アンストレッチドキャンバス)」
タイトルにもあるように絵画は木枠に貼らず、下地処理もされていない状態のキャンバス。そこに墨の線、QTSが層になって描かれている。床が水面のようになり、絵画作品が映りこむ。美しい。いや、もはやどちらが床でどちらが天なのか。どこがはじまりで、どこが終わりなのか。そんな空間や時間軸もそこにはなかったな。ただただ漂っていた。バランスを保ちながら。
名月や池をめぐりて夜もすがら 芭蕉
この部屋の「間」がとても心地よかった。
大山さんは本展の準備を進めるうえで、キュレーターの中野仁詞さんとともに鎌倉、そして京都へ日本式庭園のリサーチに出かけられたそうです。日本庭園の考え方が今回の展示の参考になっていることを知ると、この部屋の「間」の心地よさの答えがわかった気がする。夜光雲が出現する地上と宇宙の間に自身も浮遊している心持ちになった。はたまた何億光年も離れている場所に放り出されたかのようだ。
最後の部屋。壁には何もかかっていないし、描かれていない。耳をすますと、シャカシャカシューッシューーーーッという音が鼓膜を震わせた。
「エアロミュラル」
エアロゾル塗料が塗料を噴射する間に音がなり続けることに注目したサウンドインスタレーション。「音の壁画」。
驚くことに、真っ白な部屋なはずなのに、大山さんが大きく腕を振る姿が目に浮かび、黒い線が、QTSがあらわれた。わたしの頭の中に、わたしにしか見えていない夜光雲がはっきりと浮かびあがってきた。
わたしは落語が好きで、ふらっと寄席に行く。
大山さんの「音の壁」を前に、数日前に立ち寄った浅草での新春寄席を思い出した。落語家さんの巧みな話術と、扇子や手ぬぐいなどをさまざまなものに見立てて、聞くものの想像力を掻き立ててくる。
臨場感。
絵画でも、落語でも、音楽でも……わたしが至極感動をする作品は、眼前に現れている物理的な存在としてのみならず、その作品と対峙することによって、物理的な情報と感触をひょいと超えてくる臨場感溢れるものなのかもしれないなと、ふと感じた。
例えば絵画は真っ白なキャンバスに絵をかくことで物理的なスケールとは別の空間性が生まれる。僕はそれを「アルタースフェア」と呼んでいます。時間も同じで、過去から未来へ一方向に時間が流れているように感じますが、じつはひだのように歪んでもつれている。それをどう表現によって喚起できるかも、芸術ないし絵画の力だと言いたいですね(大山エンリコイサム)。
『美術手帖 特集 絵画の見方』(2020年12月号)「いかにして絵画は生まれるのか」より
大山さんが2020年12月号の『美術手帖』での座談会でお話しされているように、まさに本展は、さまざまな形をとった会が作品によって、壮大な空間(もはや宇宙)が生まれ、この世界のひだのようなもつれに身を投じることができた。シンプルに分け隔てることができない境目、こぼれ落ちていってしまう名もなきものたち、差異そして反復。
帰りにカタログを購入する。
この本が美しいのなんのって。
手に取った瞬間、ああ……いま、わたし良い本に触れているわあと、ドキドキ。
本が好きは、手に取っただけで良い本だーーーーと恍惚とした気持ちになるのわかってくれますよね?(笑)
デザインは大西正一さん。
美しく印刷された作品画像のページの合間合間に、栞のように挟み込まれたかのようなキーワードと大山さんの言葉。巻末の中野仁詞さんのテキストは、本展を深めるすばらしい伴走者だ。展覧会の図録というより、本展をきっかけに生まれた新たな作品集という様相だと感じた。
すっかり外から昼の表情は消えて、夜がはじまろうとしていた。
コートを着て、カイロがわりに自販機であたたかいココアを買って、ポケットに忍ばせた。
今、わたしは、宇宙のどのあたりにいるんだろうとふと空を見あげる。
わたしにしか見えない夜光雲がふっと光った。
展覧会情報
大山エンリコイサム展 夜光雲
Enrico Isamu Oyama Noctilucent Cloud
会期:2020年12月14日(月)~2021年01月23日(土)
処:神奈川県民ホールギャラリー
横浜市中区山下町3-1
みなとみらい線日本大通り駅3番出口より徒歩約8分
※詳細は展覧会WEBサイトをご覧ください
追伸1
本屋しゃんが間借りをしている下北沢の本屋さんBOOKSHOP TRAVELLERにて、大山エンリコイサムさんの『UBIQUITOS: Enrico Isamu Oyama』『VIRAL: Enrico Isamu Oyama』を販売中です。お近くにお越しの際は、お立ち寄りいただけたら嬉しいです。
※時短営業中です。最新情報はBOOKSHOP TRAVELLERのWEBサイト、SNSでご確認ください(2021年1月21日現在)。
追伸2
本屋しゃんが選書を担当している千葉市美術館のミュージアムショップ BATICAでは、大山エンリコイサムさんの著書を取り揃えています。美術館にご来館の際は、是非、お立ち寄りください。
関連記事
本屋しゃん企画協力イベントです。
イベントは終了しているのでご注意ください。