笑福亭羽光師匠の末廣亭初主任興行7日目。
「私小説落語―お笑い編」に触れ、末廣亭の外に出る。
雨は落ち着き、しっとりとしたなめらかな夜。
「何度聴いても泣きそうになっちゃうな」
街の賑やかさが、より一層、そんな気持ちを増幅させる。
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書き留めよう、記録しよう。
未来に記憶を呼び覚ますために。
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羽光師匠は「私小説落語ーお笑い編」を鎮魂歌のようだという。
共に戦ってきた今は亡き芸人さんの軌跡、そして羽光師匠が組んでいたお笑いユニット「爆烈Q」時代の挑戦、葛藤、挫折……ついての噺。
記憶はさらさらとこぼれ落ちていく。
あんなに手のひらにたっぷり掬い取っていたはずなのに。
毎日、人それぞれの生活が営まれ、たくさんの物語が紡がれていても、その大半はニュースになるわけでもないし、歴史に編まれるわけでもなし……そう、時の経過とともに残らずに忘れ去られ、消えてしまう。
羽光師匠はそれを「落語」にしたのだ。忘れ去られてしまう人生や物語を。
落語は想像力を掻き立てる芸術だ。羽光師匠の創造力で落語として記録された記憶は、事実の羅列としての記録から解放されて、想像の余地を与えられる。ジャーナリズムや歴史の教科書にふれる体験とは違う。鑑賞者はそれぞれの想像力を通じて、羽光師匠の記憶と経験に近づくことができる。想像力をもって接するからこそ、より内側に浸透していくだろう。この落語が噺し続けられることで、未来にも記憶が呼び起こされる。それはまさに鎮魂でありながら、記憶と記録に対する文学的で芸術的な試みでもあり、落語の可能性を押しひろげているのではないだろうか。
高座の上の師匠はまぶしい。「私小説落語ーお笑い編」を聴くと、今ここにいらっしゃる師匠にいたるまでの、四苦八苦が伝わってきて、まぶしさの発光源に触れたような気持ちになる。そんな発光源に照らされながら、お笑いのトーナメント番組のように人生に勝ち負けはあるのだろうか、この道で良かったのかな、この人生に価値はあるんだろうか……と、いつしか自分の人生について考えはじめてしまう。しかし、ここで終わらない。羽光師匠は、この噺を通じて、それぞれの人生、それぞれの道に、それぞれの意味があるんやでとそっと伝えてくれているように感じる。だから、泣きたくなってしまう。
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雨は落ち着き、しっとりとしたなめらかな夜。
「何度聴いても泣きそうになっちゃうな」と思いながら、末廣亭の前で待ってると、前座さんが迎えに来てくださった。
羽光師匠のはからいで、楽屋にご挨拶にあがらせていただく。
身体を少し斜めにしながら通る狭い小道を通り楽屋へ。
とてもありがたく貴重な経験と思いながら、それ以上にめちゃくちゃ緊張する。5日目に立川寸志さんがまくらで楽屋の居場所についてお話されていたけれど、それが手に取るようにわかる。どこにいればいいのか、どこにいちゃいけないのか……実は名人しか座っちゃいけない場所だったらどうしようとか……わたしも柱にへばりついていたかったくらい。だけど、出番を終えた何人かの落語家さんが顔を赤らげ、気持ちよ~くなっている様子に、落語の世界の住人のような人とはこのことか、と、その人間らしさに少し居心地があたたまった。
こじんまりとした畳敷きの部屋。
真ん中には火鉢。
そのまわりに無造作に置かれた座布団。
壁際には大太鼓と小太鼓。
障子戸にあけられた小さな窓。
ひととおり楽屋の中を見させていただき、
最後に高座につながるドアの前に立ってみる。
誰もいない静寂の高座をぼんやり眺める。
すると、高座にあがる瞬間の羽光師匠の鋭い眼差しと、闘志の気配がしたようだった。
笑福亭羽光 末廣亭初主任興行ー末廣亭 3月下席 夜の部
日程:2023年3月21日(火)~3月30日(木) 10日間
時間:16:45~20:30
会場:新宿末廣亭(〒160-0022 新宿区新宿3-6-12)
価格:一般3,000円 ※チラシのご持参またはチラシ画像のご提示で割引料金2,500円にてご入場いただけます(他の割引との併用不可)
詳細は羽光師匠のWEBサイトをご覧ください。
https://www.syoufukuteiukou.com/