夏に溶け込みたくて、真っ赤なカシュクールワンピースを着る。
腰できゅっとリボンを結ぶ。なかなかうまく蝶々を作ることができた。
白い靴下に白いスニーカー。夏空の下、爽やかで軽い足取りでいられるように。
SHIBUYA109を横目に文化村通りを歩く。汗ばみながら、渋谷はすり鉢状なんだなと、その地形に思う。坂を歩く時こそ下腹に力を入れるように心掛けている。歩くたびに赤いワンピースがふんわり揺れて楽しい。着て、動いた時にその服の本当の美しさが現れると思っている。そして、纏う服によって、心持ちが変わるのは何とも不思議でおもしろい。「その日」に、しっくりこない服を着てしまった時は、身体が行き場を失ってしまうようで居心地が悪い。今日はきっと正解だ。
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「ボテロ展ーふくよかな魔法」へやってきた。わたしにとってボテロは、どこかで見たことがある、名前も聞いたことがあるような…そんな距離感。まあ、つまり、ほぼ知らない人、である。ボテロは、南米コロンビア出身の美術家で、90歳の今も描き続けている。展覧会のタイトルにあるように「ふくよか」な作風が特徴で、人物のみならず、果物や静物たちもふっくらと膨らんでいる。
会場のはじめには、静物画が並ぶ。ふっくらした果物はジューシーで今にも弾けそうな生命力を感じる。バナナも発見! わーい。 オレンジ×ピンクとか、彩度高めの色の組み合わせは、わたしの趣味ど真ん中。ボテロは23歳の頃、メキシコ芸術と出会い、メキシコの大胆な色使いに触発されたとのこと。メキシコの色の使い方はまさに目にも鮮やかで、隣り合う色同士が溶け合うというより、それぞれの色が大きく主張ながらも、殺し合わず、立ち上がっているような潔さがあるように感じます。補色の取り入れ方も素晴らしいのでしょう。
そこから人物を描いた作品の章が続く。では、ふくよかな人物は、静物画と同じく、生命力を感じたかというと、不思議にも、それを感じなかった。いきいきはしているし、大胆な色使いから暗い印象もない。ここで気づくのは「顔の無表情さ」だ。どこを見ているかわからない、どんな感情なのかわからない、涙は流れているが、虚無を感じる。身体のふくよかさと無表情さの乖離に怖さを感じるとともに、だんだんと人間たちがハリボテに見えてきた。裏に回ると無数の木材で支えられている看板なのではないか、そんな心持ちがした。シミュラークルの世界。そう考えはじめると、ふくらんだ身体はジューシーなのではなく、欲や哀しみ、葛藤など人間らしさを溜め込んで浮腫んでいるようだった。水風船のように針を刺したらしぼんでしまいそうだ。人間の機微が描かれている、その点で、ものすごく生命力あふれる作品なのかもしれない、と目が合わない絵画の中の人を見つめながら思った。
日が暮れて、家路を急ぐ人より「さあ、飲みに行きますか!」というテンションの人で、町はいっぱいだった。そう、今日は金曜日。少し前まで、あんなにしーんとしていた町も、たいそう賑わいだしてきている。
わたしも少し、この人ごみに紛れることを楽しんでから帰ろうかしらと、方向転換をする。
くるっとスカートがついてくる。陽気である。その瞬間、結んだ蝶々が飛んだようだった。
展覧会情報
ボテロ展 ふくよかな魔法
会期:2022年4月29日ー7月3日
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
※詳細は展覧会WEBサイトをご覧ください
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_botero/