2022年。田んぼにピンと水が張られ、青くて若い稲の苗が美しく整列している。これから来る夏を予感させる景色。そんな季節の新潟で、笑福亭羽光師匠の落語会が2つ開催された。
6月12日(日)今時書店落語会 笑福亭羽光、ゲスト:なにわ亭こ粋(新潟市中央区花町)
6月13日(月)関川村落語会 笑福亭羽光+瀧川鯉津(新潟県岩船郡関川村)
わたしは、自身が主催した今時書店落語会から関川村落語会まで、羽光師匠の新潟の落語会の旅に同行させていただいた。これは、その時の記録。羽光師匠の越後道中の話である。
本番の日はすぐにやってきた。前日入りをして、今時書店の店主と当日立ち会っていただけるお姉さんと最終打ち合わせを行い、夜は久しぶりに母の手料理を食べた。前夜祭。わたしは本当にこの人の娘なのだろうかと思ってしまうほど、母は料理が上手だ。家族だけで食べるのはもったいないと思ってしまう。深酒もせず、大人しく眠りについた。翌朝、カーテンから太陽の光がうっすらと差し込み、とても自然に気持ちよく目覚めることができた。東京の家は日当たりがあまり良くないので、家の中で外光を纏うことができないのが少しストレス。ベランダに出て深呼吸をする。洗濯物の匂いが爽やかにそよぎ、その下で両親が育てている緑も朝を楽しんでいるようだった。
「今、バスに乗りました」と羽光師匠からメールが届く。羽光師匠は前日、山形で落語会をされていた。今時書店の落語会に間に合うには、朝8時のバスに乗らなくてはいけない。お疲れのところ、申しわけない気持ちと共に、道中の無事を願う。そして、羽光師匠が到着するまでに、ばっちり会場づくりをするぞと、良い緊張感が自分の中に走る。「春風や闘志いだきて丘に立つ」。きっと羽光師匠からのメールが春風の如し。
開演前にご挨拶をと思い、師匠方の楽屋にお邪魔をする。本番前の楽屋は、さぞ緊張感で張りつめているのではないかと恐る恐る中に入る。年季の入った和室に、こっちの壁と、あっちの壁で向かい合うようにして過ごす師匠方。そこには、わたしが想像していた殺伐とした空気とは違い、気取らない時間が流れていた。すぐにお暇しようと思っていたが、師匠方が醸す空気に妙に落ち着いて、しばし居座ってしまった。もうすぐ18時、開場時間だ。音響係は先に会場に向かう。いざ、本番だ。
10時。今時書店に到着。今時書店さんが什器や家具を動かしてくれていた。家具はとてつもなく重いから、当日の朝にみんなでやろうと計画をしていたのに、何という心遣いであろう。頭があがらない。ほどなくして、今時書店さん、新潟大学 落語研究部のみなさんも到着。落研のみなさんは慣れた手つきでパパっと、ビシッと高座を作ってくれた。「笑福亭羽光」のめくりもばっちりの出来栄えだ。みるみるうちに古書店が落語会会場に変化していく。わたしも脚立にあがって照明を整えながら、時計に目をやると「11時43分」、羽光師匠が新潟につく時間。強まる春風の気配を感じる。
ピアノの前に座る。さっき積んだ四葉のクローバーをノートから取り出して、ピアノの上に置く。一番太鼓を鳴らし、BGMをかける。開場だ。続々とお客様が入ってくる。空が焼けてきた。ここからはもう後戻りはできない。ピアノに隠れてこそこそと音響の練習を繰り返す。すると「あなたが履いている靴、すてきね! 足袋?」とお客さんが話しかけてきた。その日はNike Air Riftを履いていた。軽やかに動かなくてはいけない時、そして夏はだいたいこの靴にお世話になっている。確かに足袋。「すごく履きやすくて、重宝する靴ですよ」「いいわね。どこで買えるかしら」、気づくと村民のみなさんに囲まれていた。よそ者のわたしに壁を作らず、あたたかく接してくれる。この人たちに楽しんでもらえるように、わたしもがんばろうと思った。開演は18時30分。あともう少し。
羽光師匠が今時書店に到着した。長旅お疲れさまでした。と一息つく間もなく、早々リハーサルだ。どこから来るのだそのバイタリティ、と素直に羨望してしまう。はじまりから、終わりまで会の流れを通して確認した後に、「ニューシネマパラダイス」の音をハメる練習。音響は落研部員が担当してくれた。はじめましてなのに、羽光師匠と呼吸がばっちりあっていて、さすが落語のリズムや間がわかっていると感心。一回の練習でOK。すばらしい。楽屋は部室さながらの光景だ。羽光師匠と落研部員さんに混ざって父も何やらむしゃむしゃ食べている。人一倍声が大きくて「お前のお父さんゴリラみたいだな」と言われる父、運動会の保護者対抗大玉送りで張り切りすぎてずっこけて保健室に運ばれた父。今では笑い話でも、思春期のわたしにはどれもこれも恥ずかしい、やめてくれ、の対象でしかなかったのだが、そんな父の全力投球さと人懐っこさは今もかわっていないらしい。
関川村落語会の主催の方が会の趣旨説明、師匠方の紹介を行う。ライブ配信もされていて「画面越しのみなさま見てますか~、聞こえますか~」のくだりもあった。視線をそらすと、師匠方がスタンバイしている姿が目に入る。凛とした着物姿はさっきよりも大きく見えた。
13時ちょっとすぎ、井山弘幸先生が会場入り。今時書店落語会は仲入り後にトークの時間を設ける予定でいた。そこで、ぜひ、大学時代に「落語的科学論」の授業を通じて、わたしに落語の面白さを教えてくれた井山先生にゲストとして出演いただきたかったのだ。落語的科学論、こんな授業をしているのは世界でただひとり、井山先生だけだろう。二つ返事で出演を快諾してくれた。
新潟大学を定年退官された先生。今の先生を一言で何と紹介すればいいでしょうか。笑い論の第一人者? 科学哲学家? 思想家? といくつか候補を投げてみるもすべてボツだった。「寄席演芸好きの元教師」が良い、と返事が来た時は先生らしくちょっと笑ってしまった。そして、そんなところが好きだった。肩書? 所属?に依らない、その人らしさ。
先生との再会はずいぶんと久しぶりで、それこそ緊張していたけれど、空白の時間を埋めるように、最後に一緒にお笑いを見に行った日のこと、大学時代のこと、そして近況などをお話してくれた。時間が経ったことを感じさせるのは、少し先生の白髪が増えたかな、というくらいで井山節は健在だった。わたしの記憶と思い出もぼんやりとよみがえってくる。
つづく
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登場人物
笑福亭羽光(しょうふくてい うこう)
大阪府高槻市出身。奇妙でノスタルジックな世界へ導く新作落語家。読書家としても知られ、とりわけSF小説を愛読し、本や映画をモチーフにした創作落語で異彩を放つ。下ネタも華麗に落語にしてしまう。代表作は多層構造のメタ落語「ペラペラ王国」や、自身の実体験を基にした「私小説落語」シリーズ。1998年から4人組お笑いユニット「爆烈Q」として活動し、講談社週刊少年マガジンの第三十五回ギャグ漫画新人賞をきっかけに「のぞむよしお」のペンネームで漫画原作者としての活動を開始。2007年に 「爆烈Q」解散。同年に笑福亭鶴光に入門し、34歳で落語の道へ。2021年真打昇進。「ペラペラ王国」にて「第4回 渋谷らくご大賞 創作大賞」、「2020年NHK新人落語大賞」を受賞。
WEBサイト: ufukuteiukou.com/
twitter: https://twitter.com/syoufukuteiukou
瀧川鯉津(たきがわ こいつ)
新潟県長岡市出身。2010年11月、36才で瀧川鯉昇に入門。2014年11月、二ツ目に昇進。2019年4月、二ツ目ユニット「芸協カデンツァ」を発足し、リーダーに就任。毎週金曜日21:15~、FMながおか「瀧川鯉津のらくごられ〜」でパーソナリティを務める。自身のclubhouseにて毎週月~金AM9:15〜9:45に「寝ぼけマナコの朝稽古」で稽古と雑談の30分を届けている。趣味は、プロレス・格闘技観戦、麻雀、ゴルフ、銭湯巡り。
WEBサイト(落語芸術協会):http://www.geikyo.com/profile/profile_detail.php?id=250
twitter: https://twitter.com/t_koitsu
なにわ亭こ粋(なにわてい こいき)
大阪府堺市育ち(生まれは浪速区、生粋のなにわっ子)。
1999年生まれ。精神年齢2ちゃい。
新潟大学落語研究部4年。大学では農学部に在籍、山古志地域をフィールドに研究している。
日本酒の為だけに新潟に来たらしい。一番好きな銘柄は「北雪大吟醸YK35」。
実は、大阪弁より三重弁に寄っているが、大学ではバレたことがない(三重弁は祖母の影響によるもの)。
新潟大学 落語研究部
新潟県内大学唯一の落語研究部。その歴史は50ウン年と長く、「大学と市民の架け橋となる」べくお笑いを届けている。それも観て、聴いて、笑ってくださる皆さまのおかげという気持ちを忘れない。まいど、おおきに!落語以外に漫才・コントにも意欲的に取り組んでいる。その他裏方など、学生それぞれが輝けるような活動を心がけている。
WEBサイト:https://shindai-ochiken.amebaownd.com/
twitter:https://twitter.com/shindai_ochiken
井山弘幸(いやま ひろゆき)
新潟大学人文学部教授を経て、現在同名誉教授。専攻は、科学思想史、科学哲学。好みの主題は、幸福論、偶然性、科学と文学、物語論、お笑い文化論。趣味は、落語などの演芸鑑賞、ピアノ演奏、旅行、ドラマ鑑賞。著書に『偶然の科学誌』、『現代科学論』、『鏡のなかのアインシュタイン』、『パラドックスの科学論』、『お笑い進化論』など。訳書に、『知識の社会史』、『科学が裁かれるとき』、『ハインズ博士の超科学をきる』など。現在、ピーター・バークの『博学者論』の翻訳中。
twitter: https://twitter.com/brunnenberg1955
note: https://note.com/brunnenberg1955/
今時書店
朝7:00から夜10:00まで開店している、無人の古本屋。お店の本は、9名のオーナーが選書したものでセレクトショップのような感覚で楽しむことができる。読書したいとき、黄昏たいとき、喧騒に疲れたとき、物想いに耽りたいとき、どんなときでも立ち寄れる場所。今時書店は、あなたの新しい隠れ家です。
WEBサイト:https://imadoki-shoten.com/index.html
twitter:https://mobile.twitter.com/imadoki_shoten
instagram:https://www.instagram.com/imadoki_shoten/
関川村
WEBサイト:http://www.vill.sekikawa.niigata.jp/