わたしたちの南方熊楠 企画記事

【企画記事】手紙9:中村翔子さまへ「困難な状況の中、南方熊楠の最期を想う。」一條宣好より(2020年3月18日)

投稿日:


中村翔子さま

3月18日(火)

しばらくご無沙汰してしまいました。年度末でいろいろ雑用が重なって…、いや、言い訳はやめにしましょう。特に締め切りを設けていない往復書簡ということでお許しください。もっとも、我らが南方熊楠先生はすぐに返事が来ないと機嫌が悪くなるタイプだったようですが(笑)。

さて、ここ一か月ほど、世の中が新型ウイルスの話題で持ちきりでしたね。未だ終息の時期も確定されず、「ここ一~二週間が正念場」という言い回しが自動延長され続け、身近なところでは5月中旬のイベントが中止になった例もあります。経済状況の深刻さもさることながら、未来の宝である子どもたちが大切に扱われていないと感じる場面も多く、文化の軽視にも拍車がかかっている印象をあちこちで受けます。

なんともやりきれませんが、私個人の日常が「仕事」と「読書」(資料読みと
趣味に分かれます)から構成されていること自体は、全く変わりがありません。中村さんも、通常通りに(いや、いつも以上に!?)忙しく愉しく活動されていますね(離れていてもSNSで親しいひとの姿を確認できるのは、なんて嬉しいことでしょう!)。とても励まされています。いまは健康に留意しながら、それぞれにできることを精一杯行っていくしかありませんよね。

季節は春ですが、いま高村光太郎の一節が胸に浮かびます。「冬よ/僕に来い、僕に来い」(「冬が来た」より。詩集『道程』に収録)。みなさんのところに早く「春」が訪れますように、そして私の心に「冬」を耐える勇気が沸き起こりますように。今はそんな気持ちです。

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1989年に限定復刊された高村光太郎『詩集 道程 復元版』(角川文庫)。当時は発注・確保に失敗し入手できず、3年前に長野で行われた古本市で偶然発見。



ちょっと重たい内容になってしまいますが、今回は晩年の南方熊楠に想いを馳せてみましょうか。日中戦争が勃発したのは1937年。熊楠は70歳になっていました。太平洋戦争開戦は74歳で亡くなる直前の出来事。晩年を迎えた熊楠は、構想していた菌類図鑑の完成に向けた作業を急いでいたようです。娘の文枝さんの回想によれば、灯火管制のために電球に黒いカバーをつけた下で作業を行っていたそうです。「なにか気の毒な気がします。そんなこともちゃんと守りますから、言われたら反対に明るくするということはなかったですね。」(「南方文枝さんに聞く」より。『熊楠研究 第三号』南方熊楠資料研究会編に収録)豪放磊落なイメージの熊楠ですが、その晩年には悪条件を突き付けてくる原因となった社会情勢へ抵抗することもなく、不便を耐えながら研究活動を続けていました。医学的な知識も豊富だった熊楠は、自身の体の衰え、病状の進行についても理解していたはずです。予想される持ち時間から逆算すれば、たったいま行っている作業が、元気だった頃に構想した図鑑の完成というかたちで成就することはないと感じていたのではないでしょうか。高い理想と自負を持っていた熊楠の無念を思うと、ファンとしては胸が張り裂けそうになります。こんなふうに時間切れなんて、哀しすぎる!

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『熊楠研究 第3号』(南方熊楠邸保存顕彰会)。2000年に亡くなった南方文枝さんを偲ぶ小特集が組まれている。南方熊楠顕彰館のホームページより購入可能。


しかし、です。よく知られているように、熊楠は仏教説話に描かれる高僧の臨終のような穏やかな最期を迎えます。「天井に紫の花が一面に咲き実に気分が良い。頼むから今日は決して医師を呼ばないでおくれ。医師が来ればすぐ天井の花が消えてしまうから。」(南方文枝「終焉回想」より。『父 南方熊楠を語る』に収録)自然科学者だった熊楠が、自然の中へ包まれるように旅立っていく…この最期の姿には誰もが感銘を受けることでしう。
書簡の中で不平不満を書き連ねることの多かった熊楠に、このような穏やかな最期がなぜ可能だったのか。私にとって大きな謎であり、また大きな魅力でもあるのです。南方熊楠、本当に不思議な人ですね!

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娘の文枝による回想録『父 南方熊楠を語る』(日本エディタースクール出版部)。民俗学者の谷川健一が聞き手をつとめている。日本エディタースクール出版部の創設者だった吉田公彦は谷川の実弟。


話題は変わりますが、私の大好きな日本の近代作家が民俗学にも深い関心を持っている人でした。現存する蔵書には、熊楠が生前刊行した3冊の単行本『南方閑話』、『南方随筆』、『続南方随筆』が全て遺されており、3冊いずれにも作家が色鉛筆で書き込みをしているそうです。資料を保存している施設に資料閲覧のお願いをしたら、なんと許可がもらえました!今年はこれで研究ノートを一本書くことになりそうです。高校の時から愛読していたひとのことを自分で書く日が来るなんて!嬉しさで胸が張り裂けそうです!困ったこともいっぱいですが、何とか元気を出して明日へ進んでいきたいです。

中村さんの活動にも新たな出会いが生まれたようですね。今度いろいろ聞かせてください。

一條宣好 拝

【往復書簡メンバープロフィール】

一條宣好(いちじょう・のぶよし)
敷島書房店主、郷土史研究家。
1972年山梨生まれ。小書店を営む両親のもとで手伝いをしながら成長。幼少時に体験した民話絵本の読み聞かせで昔話に興味を持ち、学生時代は民俗学を専攻。卒業後は都内での書店勤務を経て、2008年故郷へ戻り店を受け継ぐ。山梨郷土研究会、南方熊楠研究会などに所属。書店経営のかたわら郷土史や南方熊楠に関する研究、執筆を行っている。読んで書いて考えて、明日へ向かって生きていきたいと願う。ボブ・ディランを愛聴。https://twitter.com/jack1972frost

本屋しゃん似顔絵

中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家

1987年新潟生まれ。「本好きとアート好きと落語好きって繋がれると思うの」。そんな思いを軸に、さまざまな文化や好きを「つなぐ」企画や選書をしかける。書店と図書館でイベント企画・アートコンシェルジュ・広報を経て2019年春に「本屋しゃん」宣言。千葉市美術館 ミュージアムショップ BATICAの本棚担当、季刊誌『tattva』トリメガ研究所連載担当、谷中の旅館 澤の屋でのアートプロジェクト企画、落語会の企画など、ジャンルを越えて奮闘中。下北沢のBOOKSHOP TRAVELLRとECで「本屋しゃんの本屋さん」運営中。新潟出身、落語好き、バナナが大好き。https://twitter.com/shokoootake


【2人をつないだ本】

『街灯りとしての本屋―11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』
著:田中佳祐
構成:竹田信哉
出版社:雷鳥社
http://www.raichosha.co.jp/bcitylight/index

※この往復書簡は2020年2月1日からメディアプラットフォーム「note」で連載していましたが、2023年1月18日より本屋しゃんのほーむぺーじ「企画記事」に移転しました。よろしくお願い致します。

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