中村翔子さま
2020年4月16日(木)
お便りありがとうございました。
中村さんが出会った、佐々木美佳監督の映画「タゴール・ソングス」。タゴールはインドの詩人であり、アジア初のノーベル文学賞に輝いた人物で代表作に『ギーターンジャリ』がある…という程度の、事典項目的なことしか恥ずかしながら知りませんでした。意識しませんでしたが南方熊楠と同時代を生きた方だったのですね。
実は、熊楠とタゴールには面白い「縁」があります。熊楠の知人だった哲学者の平沢哲雄は、タゴールを日本に招聘した三土忠造の弟でした(『南方熊楠全集 9』33頁)。平沢は著名人とあった際にサインをもらう習慣があったようです。平沢が熊楠に面会した折、タゴールにもサインを書いてもらった帳面を出して熊楠へ記入を求めたので、熊楠は「蟻の遊(すさ)び」と書いたそうです(『南方熊楠・平沼大三郎往復書簡[大正十五年]』21頁)。つまり一冊のサイン帳へタゴールも熊楠も署名したことになります。現存しているのならぜひ見てみたいですね!
映画のフライヤーをいただいて驚いたのは、タゴールがたくさんの歌を作っていて、それが映画の主題であるということでした。しかも、現在でも大勢の人々に歌い継がれているのですね。歌の持つ意味、その存在の意義を考えずにはいられません。
すぐ連想したのはインドとも関りの深い、チベットの聖者ミラレパのことでした。
「ミラレパは学者ぶることを、心底嫌っていた。自分の神秘体験や思想を語るのにも、むずかしい仏教の専門用語をもってするのではなく、やさしい民衆の詩や歌や格言をもじって、インスピレーションのままに、流れるような即興の言葉を、語ったのだ。」
(『チベットの聖者ミラレパ』エヴァ・ヴァン・ダム著、中沢新一訳・解説、法蔵館)
伝統に立脚したオリジナリティ。タゴールと同じくノーベル文学賞を受賞したボブ・ディラン(1941~)のことが頭に浮かびます。
ディランは「ぼくが歌を書き始めたのは、どこにもうたいたい歌が見つからなかったからだ。(ニューヨーク、1984年)」と発言しています。『路上』で高名なジャック・ケルアック(2010年の来日公演では、開演前の場内で『路上』の朗読が流れました)、一時ディランと活動をともにしていたビート詩人のアレン・ギンズバーグ、若き日に知人の書棚から見つけて読みふけったランボー、そして『聖書』…様々な文学作品から吸収したエッセンスを自己の内部で醸成させ、独自の視点と言語感覚で、濃い霧のような暗喩に結晶させた唯一無二の世界。ノーベル文学賞を受けた理由のひとつは、彼の詩が持つオリジナリティの高さにあるでしょう。それは先に引いた発言と呼応します。
しかしながら、ディランは最初から独自性の高い詩人だったわけではありません。その音楽活動の重要な要素のひとつとしてアメリカの伝承音楽がありました。最初のアルバム『ボブ・ディラン』(1961年発表)は収録されている13曲のうち、オリジナルは2曲のみ。他はカバーで、古い伝承曲やブルーズがいくつも含まれています。
当時の彼が屈折した心情を持っていたこと、いろいろな経験から死を身近に感じていたこと…種々の伝記にはファーストアルバムの内容に関連する事項が紹介され、考証が行われていますが、ディランは伝統あるフォークロアの世界とのつながりを積極的に見せることによって、若者である自分を人生経験豊富で老練なフォークシンガーのように思わせたかったのだろうと私は感じます。本来はバンド編成でロックンロールを演奏したかったけれど、金銭面の理由などで難しかったため、ギターとハーモニカと自身の声で表現するスタイルをやむを得ずとったのだともいわれてきました。しかし他方で、ディランは放浪の歌唄いたちへの憧れも確かに持っており、それを表明しているのです。彼がこれまで発表してきた作品の中では、ファーストアルバムの評価はあまり高くありませんが、民俗学徒の私にとっては「伝統につらなる存在」としての自分をディランが見せている点で、重要な意味を持つ一枚です。
ディランは高齢になった現在でも世界中を回って旺盛なライブを行っています。選曲、構成は頻繁に変更され、ファンを楽しませてくれます。1999~2002年までは一曲目に、様々な伝統曲や、自身が若い頃に影響を受けたアメリカのアーティストの曲がカバー演奏されていました。ルーツの一端を披露してくれるかたちで、聴衆にも好評だったと聞きます。特に忘れがたいのは、2001年秋のツアーから歌われるようになった「Wait for the light to shine」。『ボブ・ディラン自伝』でも深い敬
愛の念が捧げられているアメリカのカントリーシンガー、ハンク・ウィリアムズ(1923~1953)が取り上げたことで知られている曲です。ライブで最初に演奏されたのは、あの痛ましい同時多発テロがアメリカで起こって間もない10月5日、ワシントンのスポーカン・アリーナ公演でした。
Wait for the light to shine,wait for the light to shine
Pull your self together and keep looking for the sign
Wait for the light to shine
初めて音源を聴いた時、歌詞がそのままディランの肉声のように感じられました。しかも、ハンク・ウィリアムズの声も重なって聞こえてくるかのようです。生来の身体的苦痛に苛まれ続けたハンク。けれども彼の歌声は軽やかで明るく、ディランはそのことに心打たれたと自伝で語っていました。2001年に人々が抱えていた哀しみや苦しみ、この歌が作られたころ人々が感じていた痛み。ハンクとディランのそれも重なっていきます。「Pull your self together」…哀しみや痛みが普遍的な存在であるのと同時に、祈りと励ましのこころも普遍的なものなのだと思い至った時間でした。
さて、我らが南方熊楠の都都逸(どどいつ)好きは有名ですね。ある熊楠研究者は「都都逸は明治のラップ!」と定義していて、なんと上手い表現だろうと感嘆しました。海外の音楽、外国語の歌についてはどうだったのでしょうか。海外生活が長かったのため西洋音楽に触れる機会はあったはずで、ギター弾きが出てくる東欧の民話に言及したり、ポーランドの首相だった「パラレウスキ」(パデレフスキのことでしょうね)を「世界一のピアノ奏手」と書いていたりもするのですが、クラシック音楽や欧米の民謡に
ついての具体的言及はなかったような気が…。天国への直通電話があったら、そのあたり質問してみたいところですね。
困った状況が続いていますが、せめて往復書簡の中では笑っていたいですね。ほんの一時でかまいません、読んでくださる方もクスッと笑ってくれたら望外の喜びです。
いつも忙しく活動している中村さん、どうぞお身体を大切に。
一條宣好 拝
《おまけ》
【往復書簡メンバープロフィール】
一條宣好(いちじょう・のぶよし)
敷島書房店主、郷土史研究家。
1972年山梨生まれ。小書店を営む両親のもとで手伝いをしながら成長。幼少時に体験した民話絵本の読み聞かせで昔話に興味を持ち、学生時代は民俗学を専攻。卒業後は都内での書店勤務を経て、2008年故郷へ戻り店を受け継ぐ。山梨郷土研究会、南方熊楠研究会などに所属。書店経営のかたわら郷土史や南方熊楠に関する研究、執筆を行っている。読んで書いて考えて、明日へ向かって生きていきたいと願う。ボブ・ディランを愛聴。https://twitter.com/jack1972frost
中村翔子(なかむら・しょうこ)
本屋しゃん/フリーランス企画家
1987年新潟生まれ。「本好きとアート好きと落語好きって繋がれると思うの」。そんな思いを軸に、さまざまな文化や好きを「つなぐ」企画や選書をしかける。書店と図書館でイベント企画・アートコンシェルジュ・広報を経て2019年春に「本屋しゃん」宣言。千葉市美術館 ミュージアムショップ BATICAの本棚担当、季刊誌『tattva』トリメガ研究所連載担当、谷中の旅館 澤の屋でのアートプロジェクト企画、落語会の企画など、ジャンルを越えて奮闘中。下北沢のBOOKSHOP TRAVELLRとECで「本屋しゃんの本屋さん」運営中。新潟出身、落語好き、バナナが大好き。https://twitter.com/shokoootake
【2人をつないだ本】
『街灯りとしての本屋―11書店に聞く、お店のはじめ方・つづけ方』
著:田中佳祐
構成:竹田信哉
出版社:雷鳥社
http://www.raichosha.co.jp/bcitylight/index
※この往復書簡は2020年2月1日からメディアプラットフォーム「note」で連載していましたが、2023年1月18日より本屋しゃんのほーむぺーじ「企画記事」に移転しました。よろしくお願い致します。