わたしが「牛」に興味を持ったのは、「肉」としてだった。
teshがインドに行って帰ってきたら急に肉を食べなくなった。屠殺の現場を目の当たりにしたかららしい。ふむ、食べるために動物を屠ることは可哀相なのだろうか、この感覚は世界/人類共通なのだろうか、肉を食らうとは何なんだろう…と、さまざまな疑問と興味が湧いてきて、ふと手にした内澤旬子さんのルポルタージュ『世界屠畜紀行』。この本を読んで以来、「肉」の背景に「命」を感じながらいただくことができるようになった気がしている。
ある日、ポストをあけると、請求書やクリーニング店のクーポン付のはがき、水道トラブルのマグネットやらに交じって茶色の封筒が届いていた。はて? と、中身を傷つけないように封筒の端っこギリギリをハサミで切って開封する。中に入っていたのは、牛のポストカード2枚。冨田美穂さんからの展覧会の案内だ。嬉しい嬉しい便り。冨田さんは北海道の斜里で牛関連のお仕事をしながら作品制作をされている。作品はもっぱら牛の木版画と絵画だ。「牛」と「肉」に興味を持ちはじめてから冨田さんのことを知った。内澤さんのルポを拝読し、牛と人と命が結び付いたと。そこに冨田さんの作品を通じて「美しさ」が加わった。そう、牛の美しさに打ちのめされた。だから、いつか斜里に行って、作品を拝見するんだ! と、その日を楽しみにしていた。しかし、今回の案内は東京での展覧会。なんと、斜里に伺う前に、東京で冨田さんの作品を間近で見ることができるなんて思いがけないプレゼントだ。楽しみすぎる。そっとポストカードをデスクの上に飾った。
「冨田美穂展ー牛部屋 2022ー」は、武蔵野美術大学 キャンパス内のギャラリーgFALで開催される。冨田さんの母校だ。
個展最終日。鷹の台から歩こう。gFALに行くのは、2015年「武蔵美×朝鮮大 突然、目の前がひらけて」 以来であることに気づく。並んで建っている「武蔵野美術大学」と「朝鮮大学校」の境界の一枚の壁に橋をかけるというプロジェクトだった。ちょうど両校の境界線をまたぐように、橋の上にバッと足を広げて立って「架け橋」の緊張感と共存する感覚に震えたことをよく覚えている。
鷹の台から玉川上水のほとりを歩いて、20分かからないくらい。気温は27度。汗ばむ陽気である。ダボっと着たTシャツの袖をまくり、ノースリーブにしたてる。すでに、袖のあとがうっすらと日焼けしている。夏が来ているんだな。洋食屋さんの店先の黒板にランチメニューが書いてある。オムライスや生姜焼き定食…ほとんどが500円以内という値段設定。油でくもり年季が入った窓ガラスから、かすかに見える厨房では、せわしなく火が躍っていた。
しばらく歩くと、住宅街の家々をぬうように運動会の声が聞こえてきた。フレーフレー青組。聞き間違いでなければ、確かに青組と言っていたと思う。わたしが小学生のころは、赤組か白組で、中学生になったら朱雀、白虎、玄武とチーム分けされた。わたしは中学の三年間、白虎チームで、競技に勝つたびに大根踊りをしていた。なんでも東京農業大学の応援団のパフォーマンスに由縁すうるらしい。なぜ、新潟の中学校で、東京農業大学の踊りが採用されているのか、その理由は未だに謎のまま。
馬鹿正直にgoogle mapの経路案内を信じていたら、キャンパスへの入り口が分からなくなってしまった。この壁の向こう側がギャラリーのはずなんだけど…な。相変わらず方向音痴がすぎるようで、守衛さんたちに何度も助けていただいた。「gFALに行きたいんです」「牛さんね。牛さんに行くには…」という具合である。牛さんの愛称で守衛さんたちにも親しまれているのが、なんだか微笑ましくて嬉しかった。
gFALは、正門を背に左手側、2号棟の一階にある。本来ならば、なんてことない、とてもシンプルにたどり着ける場所。わたしが勝手に脳内で複雑化してしまっていた。途中、彫刻科のアトリエを横切る。たくさんの石や丸太、制作途中の作品が点在していた。いいな、美術大学。一度は夢見た場所。
「冨田美穂展ー牛部屋 2022ー」の立て看板が見えてきた。羽村まで水族館劇場を見に行った時、真っ暗闇の道をてくてく歩いていて、そろそろ心細さの限界…という時に突如として、水族館劇場の旗がはためきはじめた。闇に呑み込まれそうな心細さと寂しさは消え、ついに来たぞ! やって来たんだ! と高揚した。今日も、その感覚。牛さんはもうすぐそこだ。
ガラス張りだから遠くからも牛が見える。反射して他の建物の窓ガラスにも牛が映り込んでいる。わたしの他に、学生さんらしい女性が2人、熱心に見入っていた。コンクリートの床に白い壁、ノイズのない広々とした空間。ガラス張りであることも相まって、内と外を突き抜ける解放感が漂っていた。
そんな空間に生温かい空気を感じるのは、他でもない、牛たちがいるからだ。
牛の頭部のみの作品、まるっと一頭の大きな作品。あらゆる角度から描かれ、彫られ、刷られた牛たちのびのびとしていた。ようやく実際に拝見することができた冨田さんの牛。緻密な毛並みは質感だけでなく、湿り具合や艶っぽさがわかる。骨や筋肉、血管までもが生々しく、そっと手を触れると牛の体温が伝わってきそうなくらいだ。そして、目。牛たちの目はとても穏やかだけど、どこか寂しさもあって、目が合うたびにドキッとした。牛と共に働く冨田さんだからこそ、みずみずしく牛が描かれているだなと思いめぐらすとともに、これは「リアルな牛の絵」ではなく、牛の美しさであり、牛の命が抽出されているように感じた。
近づいたり離れたり、一通り作品を拝見してから、真ん中でぼー--っと展示会場全体に身をゆだねた。嗚呼、生きているなわたし、と牛たちの生温かさを感じることで、自分の生にも触れたようだ。時計に目を落とし、ふと我に返る。行かなくちゃ。芳名帳に一言メッセージを添えて名前を書いて会場を後にする。バイバイ牛さん。gFALを出ると絵具だらけのつなぎを着た学生たちとすれ違う。いいな、なんて、また羨ましさがこみあげる。
「牛さん、よかったです」と、道を教えてくれた守衛さんに一言。マスク越しに笑って答えてくれた。
帰りは、別の道を歩いてみようかしら、なんていう好奇心もよぎったけれど、キャンパス内でも迷子になるわたしである、そこは大人しく来た道を戻ることにした。玉川上水のほとりを歩いていると、青く光るトカゲがちょろちょろっと足元にやってきた。熱すぎる太陽の光も、このこの美しい色を目にすると許すことができた。まだ、運動会をやっているらしい。TRFの「EZ DO DANCETRF」にあわせてみんなで踊っている姿が見える。キレキレの音楽が大音量で流れる中、生徒たちの、ちょっと恥ずかしいんですけど…という空気がよかった。青春。洋食屋さんのランチタイムのピークは過ぎたらしく、厨房に火の様子はなかったけど、優しい価格のランチメニューは外に出たままだった。
電車に乗り込み、次の目的地に向かう。
まくりっぱなしだったTシャツの袖を元に戻す。二の腕まで赤らんでいた。さっきより焼けちゃったな。
今度は、斜里に行こう。
斜里の夏は暑いのかしら。
焼けた腕をそっとなでながら、今日の暑さと牛たちの体温を重ねて、いつか来る夏を思った。
展覧会情報
冨田美穂展 ー牛部屋 2022ー
2022年6月3日(金)- 6月17日(金)
https://tomitamiho.com/ja/2022/04/17/%e6%ad%a6%e8%94%b5%e3%81%ae%e7%be%8e%e8%a1%93%e5%a4%a7%e5%ad%a6gfal%e3%81%a7%e3%81%ae%e5%b1%95%e7%a4%ba%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/