誰も立ち上がろうとしない。
土の上を歩いているようなやわらかさとあたたかさ、そして90年分の擦れやテカり。
その畳の上に腰をおろしたら最後。「ばあちゃん家」という概念がこの世に存在するならば、きっと誰しもが、「ばあちゃん家」に帰って来たような安堵感と懐かしさを覚えるだろう。そして、あまりの居心地の良さに動けなくなる。
MIOKO個展「たまにはヨソの布団の上」の打ち合わせ。会場である「家劇場」の住人の緒方彩乃さんと、MIOKOと本屋しゃんの3人でちゃぶ台を囲んで展示のアイディアを膨らませる。畳に根を生やしながら。
2022年12月19日~12月24日の約一週間、MIOKOの3冊目のZINE『だいたい布団の上』の刊行を記念して、家劇場で個展「たまにはヨソの布団の上」を開催した。MIOKOと本屋しゃんが組むのは二度目。一度目は谷中の老舗旅館 澤の屋さんでタイトルは同様に「たまにはヨソの布団の上」を開催した。畳の和風の客室を一部屋お借りして、布団を敷いて、原画と動画を展示して、MIOKO人形に在廊してもらった。畳の部屋、そして澤の屋さんのお人柄も相まって妙に落ち着くのだが、ここは宿。部屋には旅情が漂い、いつもとは違う非日常空間。
「家劇場」は、実際に緒方さんが暮らしながら家事をする感覚で、さまざまな催しを開催している。誰かの暮らしが、誰かの日常が、誰かのいつも通りがしみ込んだ場所。だけど、わたしの日常ではない、わたしのいつも通りではないから「ばあちゃん家」くらいの程よい距離感を感じるのかもしれない。いつも通りだけど、いつも通りじゃない。
会場を視察しながら、このあたりに原画を貼って、ここにモニターを置いて、ここは物販スペースにしてと、展示・会場構成を練る。MIOKOはスマホでちゃちゃっと見取り図を描き、話し合いの内容をメモしていく。それを元に、展示の内容も詰めていく。すると……「会期中、缶詰になって漫画ドローイングをしたい」とMIOKOが提案してきた。さらに「その様子を配信したい」と。MIOKOの挑戦だ。「缶詰になって漫画ドローイング」は「缶詰ドローイング」と名付け(この安直感が良いと思っている)、配信のためにMIOKOのYOUTUBEチャンネルも開設した。
さて、肝心なのは缶詰になって「何を描くか」だ。MIOKOは、日々、自身の「内」に漂う 「得体のしれない考え」を 絵と言葉で日記のように書き留めている。それは、イラストレーションであり、漫画でもあり、私小説でもあり……。では、缶詰ドローイングも缶詰中の得体の知れない考えをいつも通り描けばよいのだろうか? せっかくヨソの街のヨソの布団の上で描くのだ。ヨソのいつも通りに寄り添うために「現地からネタを拾って描いてみよう」と相成った。 さらにそのネタは「お題」として第3者から出してもらうことに。「お題」をいかに解釈し、漫画にするか。これもMIOKO初挑戦。さらに、挑戦は増える。缶詰ドローイングはやたらと大きい紙に描くことにした。MIOKOが普段、得体のしれない考えを描いているのは100均のA4の自由帳。今回ドローイングするのはA1ほどの模造紙。
こうして、家劇場での個展は、缶詰ドローイング、ライブ配信、お題を描く、大きい紙に描くと、MIOKOにとって初挑戦尽くしの野心的な試みになった。いつも通りだけど、いつも通りじゃない。
暖房をつけ、石油ストーブをつけ、ホットカーペットを敷き、コートは着たまま、マフラーは巻いたまま……築90年の古民家での防寒対策はいささか大変だった。
「一日一題」。MIOKOはもくもくと描いた。
紙が大きくなろうとも、いつも通り、下書きはしない。コマの枠線もフリーハンドで描く。
ZINEの3冊目を手に取った時、明らかにMIOKOの線が育っていることを感じた。線の太さは一緒でも、滑らかさと力強さが増していた。同じ黒でも、迷いのない黒になっている。漫画のコマ割りもより良いリズムになっている。
澤の屋さん お題「しした」
本屋しゃん お題「俳句、細道、出発点」
木星社 きよさん お題「星、肌、明け方」 ※たくさん出していただいたお題から3つ選んだ
家劇場 緒方さん お題「家劇場での一日」
具体的なお題も抽象的なお題も、MIOKOの得体の知れない思考によって解釈され、漫画になっていった。MIOKOは、小さいころから長らく自身の外見、そして外との付き合い(人付き合い)にコンプレックスを抱いていた。しかし、だんだんと「外」からの肯定的な視点や言葉に出会うことでコンプレックスは薄らいでいき、「外」との積極的な交流の必要性を感じるとともに、「人とものを作る」ことが好きなコミュニケーション方法だと想うようになる。
今回の個展は、ヨソの街、ヨソの布団という、所謂「外」での開催で、お題をもらって描くという「外」との交流によって実現している。いつも通りだけど、いつも通りじゃない、この試みはもしかしたらMIOKOの原点に近いのかもしれない。
完成した大きな漫画は、部屋の中に虫ピンで展示していく。
一枚、また一枚と漫画が増える(こんなに漫画が溢れる畳の部屋って、トキワ荘以来ではないか)。
日に日に家が表情を変える。
いつも通りの家劇場が、だんだんいつも通りじゃなくなっていく。
得体の知れない漫画で埋め尽くされていく。
何で生きてるんだろうなんてたまに考えてしまうことがある。人間の生なんて意味も根拠も目的もないかもしれないじゃないかと。だけど、MIOKOの作品、得体の知れない考えに触れると、偶然に生まれた人間同士の、そして人間と世界のちょっとした接点や関係性によって生きてるってなんだかおもしろくなるんだなと気づくことができて、楽しくなる。いつも通りだけど、いつも通りじゃない、そんな毎日。
「こんにちはー、宅急便です」
「ちゃんとカギ閉めた?」
ご近所さんの声がすぐそこに聞こえてくる。
「何やってるのー」
近所の小学生が靴も脱がずに、膝歩きで中に入ってくる。
「どこかで会ったことありますよね」
謎の再会もあった。
そんな中、MIOKOは描き続ける。
細い線を、太い線を。墨汁も登場する。
12月24日最終日。
最後の缶詰ドローイングを終え、最後の一枚を展示する。
最終日にしてようやく展示が完成した。
最後までいろいろな方が訪ねてきてくれて嬉しい。
おかわりしに来てくれた方もいた。ありがたい。
撤収。あんなに漫画でぎゅうぎゅうだった家劇場がいつも通りの呼吸をしはじめた。
お世話になりましたと、家劇場に一礼して帰路に就く。
外はなんだかいつも通りじゃない
道行く人々がイルミネーションで輝く街を幸せそうに行き来している。
そうか今日はクリスマス・イヴ。
特別な日にみんな心浮き立っているようだ。
一方の我々は、いつも通り「では、また」と別れた。
「家劇場」は2023年3月に終わることが決まっている。解体、建て替え計画がはじまるらしい。
残念だなという気持ちも浮かんでくるけれど、物理的な形がなくなっても、さまざまな催しの記録とともに、家劇場という場所が息づいていたことはずっと消えないんだろうなと思う。ありがとうございました。
MIOKO個展「たまにはヨソの布団の上@家劇場」
☆ライブ配信アーカイブはこちら
https://www.youtube.com/@mioko9924/streams
MIOKOのZINEはこちら
https://honyashan.thebase.in/items/70099442