なりやまない拍手。
誰ひとりとして席を立とうとしなかった。
いや、立てなかったというのが正しいかもしれない。感動の圧で身動きが取れなかったのだ。
わたしもそのひとり。
「エロを封じて、古典落語と新作落語を半分ずつ口演する」とのことだが、はて、どんな落語が聴けるのだろうと、とても楽しみに伺った結果、瞬きをするのも忘れるくらい没入し、いつのまにか、羽光師匠の落語の世界にトリップしてしまっていた。
2023年3月21日 春分の日。笑福亭羽光師匠の末廣亭でのはじめての主任興行の初日。
羽光師匠が口演した演目は上方落語の「土橋萬歳(どばしまんざい)」。
元ネタは上方歌舞伎の『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』の七段目。ちなみに土橋は大阪の地名で、萬歳とはお笑いの一種ではなくて、新年になると各家々を廻って、祝言や祝舞を披露する芸能のこと。道楽が過ぎて謹慎処分になった若旦那が見張りの丁稚を買収して抜け出すのだが、番頭にバレて居場所を突きとめられる。最初、番頭は冷静に頭脳作戦で若旦那に遊ぶをやめさせようと試みるが、自分を抑圧してくる横柄でけんか腰な若旦那の態度に堪忍袋の緒が切れて、刀を抜き、しまいには血が流れるまでに……。
膝帰り(トリの前)は、漫才コンビ「オキシジェン」。往年の師匠方のモノマネをテンポよく繰り広げ、それらを華麗にたたみこんでいって会場を笑いの渦へ巻きこんでくれた。わたしもバカほど笑い転げた。
そこから、めくりがさっと変わり、トリの「羽光」の名前。
羽光師匠が高座にあがると、会場の空気は一変。緊張の糸がピンと張られた。
この空気の変り方が寄席のおもしろさであり、バトンを渡す側と受け取る側の空気の読み合い、そして番組を作るうえでの腕の見せ処なのかもしれない。
「土橋萬歳」は現代にぜひ伝えたい噺のひとつだと、まくらで語る羽光師匠。
普段は真面目な番頭が急に逆上して若旦那を切りつけてしまうという物語は、現代のさまざまな犯罪にも紐づけられるし、そんな犯罪の原因となる精神的な抑圧について、いや、そもそも人間は穏やかな面と破壊的衝動が表裏一体となった生き物であるのではないだろうか、そう誰にもそんな一面があるのではないだろうかというメッセージが込められている。
羽光師匠の落語は登場人物が実に個性豊かだ。それぞれの役者がよく立ち上がり、人情が滲んでくる。
コミカルなキャラクターを演じさせたら右に出る者はいないのではないかと思うほどだが、次の瞬間には渋い男の色気が全開になる。今日も、そんな羽光師匠の落語は健在なうえに、それをさらに惹き立てる演出が素晴らしかった。
華やかなお囃子が、噺を彩り、
照明の明暗によって末廣亭という空間ごと落語の世界に溶け込ませる様子は、インスタレーションさながら。
殺し場と呼ばれる立回りは、羽光師匠のしなやかでキレのある動きで、残忍なシーンにもかかわらず、その美しさにうっとりとしてしまう。
そんな立回りをよりリズミカルにするツケが、緊張感を増幅させて走らせる。
刀をふりかざす、バタバタっとツケが鳴る。
刀をざっと振りかざす、バタバタッとツケが響く。
客席は息をのみ、羽光師匠の熱演と息の合った舞台づくりに圧倒され、見事に心をかっさらわれていた。
まさに、今日という日に、末廣亭という場でしか体験しえない落語の世界。
「江戸時代から建物ごとタイムスリップしてきたかのような末廣亭は、まさに異空間である。
古典落語だけでなく、落語家の作り出した別世界へ連れていってくれる。
この場所は、観客の想像力を増幅させる力を持っている。
僕は、今回の主任興行の10日間で、古典落語と新作落語を半分ずつ口演しようと思う。
来てくださったお客様を異空間への旅にいざないたい(羽光師匠WEBサイトより一部抜粋)」
羽光師匠は、この言葉どおり、わたしたち鑑賞者を異空間に誘ってくださった。
喝采の中、再び、どん帳があがる。
「土橋萬歳」を噺したばかりの笑福亭羽光師匠が改めて高座にあがり挨拶をされる。
少し緊張がほぐれてやわらかい表情の羽光師匠をぼんやりと見つめながら考える。
誰もが持つ穏やかな面と破壊的な面。
自分の内側にもそれがあると思うと少し怖くなるけれど、羽光師匠の落語を聴くと、人間の飾らない正直な表情に出会うことができるし、「それで、ええんやで」という師匠の言葉が、頭をよぎり心穏やかでいることができる。落語を通じていろんな時空に旅することは、日ごろ、凝り固まってしまいがちな心を解放させてくれるんだろうな、なんて。
感動の余韻には浸りたいもので、末廣亭の外に出て、現実に戻ることは少し惜しい。
夜が深まりつつあるけれど、まだまだ熱気あふれる新宿は、何食わぬ顔でそんなわたしを受け入れてくれた。
さあ、一杯いこうかと、一緒に寄席を楽しんだ仲間たちとあっちをうろうろこっちをうろうろ。
夜風にあたり、仲間と感想を語らいながら歩く新宿の街。
この町の喧騒に重なってなりやまない拍手がまだ聞こえるようだった。
***
さあさあ、これは初日のお話。羽光師匠の興行は3月30日までノンストップで続きます。
講談や浪曲、音曲、奇術に漫才、落語はゲスト枠には上方や立川流の方など、ジャンルや所属は違えども、羽光師匠のキュレーション力が光る、これからの演芸界を切り拓いていかれる方々なんだろうなという気骨ある方々が顔付けされています。トリの羽光師匠までの流れをすべて含めて寄席という物語だと思います。初日もまさに次から次へとバトンが渡され、一冊の本が出来上がっていくようでした。ぜひ、羽光師匠と出演者のみなさまが紡ぐ物語をお楽しみください。
日程:2023年3月21日(火)~3月30日(木) 10日間
時間:16:45~20:30
会場:新宿末廣亭(〒160-0022 新宿区新宿3-6-12)
価格:一般3,000円 ※チラシのご持参またはチラシ画像のご提示で割引料金2,500円にてご入場いただけます(他の割引との併用不可)
詳細は羽光師匠のWEBサイトをご覧ください。
https://www.syoufukuteiukou.com/